抱きしめ合ったら脇汗

1年ごとテーマの変わる冬眠型もてらじ村民ブログ

誰かに会いにいく旅が面白い

 

旅は面白いのである。

 

散歩ですら旅だと思えば、人生は冒険ばかりのワクワクしたものになる。

つまり、どんな旅でも、楽しくなる可能性を秘めているってことだと思う。

 

一人旅も最高だ。

誰にも気を遣わずに移動して、知らない場所に自分を置いているだけで楽しくてたまらない時があると思う。日常は決して楽しいことばかりではないから、日常と間合いがとれるだけでも、脳みそにとっては何よりのごちそうだ。

 

そして、最近新たに発見したのが、誰かに会いに行く旅の面白さ。

これは楽しい。

もちろん、目的となる会いたい人がいてはじめて成り立つので、会いたい人がいないとどうしようもないのだけど、

 

土地や文化や景色やご飯よりも、人間に会う旅の方が、こう、、

 

生々しさがある。

 

ドキドキ(までいかなくとも)に似た、緊張感にも似た何かがある。

初めての人に会いに行く場合は、多少がっかりすることもあるけれど、がっかりだって、収穫だ。がっかりした話として、ちゃんと昇華される運命にある。

 

そして、がっかりしなかった場合。

すごく楽しい一日になった時。

会いに行く人だけでなく、その土地そのものに好感を抱いている自分に気づくのである。

 

そうなってしまうと、もう無敵だ。楽しさしかない。

マリオがスターを取ってピカピカしてる間にそっくりな感じになる。

 

うひょぉぉぉ!!ハーーッハハハハー!

 

・・・そこまで興奮するかどうかは分からないが、移動すら楽しくなること請け合いだ。

 

空想やイメージでの、心の旅もそうとう楽しいけれど、

肉体の旅も織り交ぜてみると、きっとまた違う楽しさの体感が得られるはず。

 

ああ。

書いていたら、どこかに行きたくなってきた。

ちょっとすぐに誰かに会いにいくイメージが湧かないので、ここは強引に、食べ物を擬人化して、うどんさんに会いに香川にでも行きたい気分だ。

 

でも香川は遠くて、すぐには叶わない願いなので、いつ行っても表情が一切変わらないあのお姉さんに会いに、近所の定食屋にでも行くとしよう。

 

立派な旅と言えなくもないだろう。

 

 

ゆれる心が面白い

 

 

唐突に抽象的なことを言うようだけれど、

ゆれる心は面白いのである。

 

僕の大好きな漫画「からくりサーカス」で、ある人物がこんなことを言う。

 

「オートマータはめったに笑わないんだよ。フランシーヌ人形を笑わせるために、おどけてばかりいるのにね。自分にゆれる心が無いのに、フランシーヌを「ゆらす」ことができると信じて、二百年も同じことを繰り返している」

 

詳細は、是非ともからくりサーカス全43巻を見ていただきたいのだけれど(うちのカフェにも全巻置いてます)、

 

つまり人は、心がゆれるからこそ、人なのかもしれない。ということだ。

逆に言えば、ゆれない人などもう、人ではないのだろう。

 

ある地上波ラジオで、もう半世紀近く人生相談を受けている方が、

先日こんなことを言っていた。

 

「いつの時代も、人の悩みは変わっていないんですよ」

 

いつの時代だって、人は変わらず、ゆれ続ける。

その中には、「ブレる」や、「迷う」、「間違える」も、おそらく入っている。

 

だから、心が揺れたり、ブレたり、迷ったり、間違えに気づいた人は、

そのことに落ち込んだり、劣等感を抱く必要なんか、きっとない。

 

自信をもって、まではいかなくとも、そんなダメに感じる自分も含めて、

寛容になってみたらどうだろう。きっと、そこから先の世界が見えてくることもあると思う。(自分に言い聞かせてる気がすごくしてきたが)

 

だって、ゆれる心があるからこそ、人の心を揺らすことができるはずだから。

 

人の美しさ(というと大げさかもだけれど)みたいなものも、きっと揺れたその先にあるんだと思う。(例えば個人的にはだけれど、ひたすら若く明るく明朗で饒舌な女性よりも、それなりに挫折を味わって悲しみの引き出しをたくさん所有してるせいで涙もろくなった人の方が、女性としての魅力に数万倍包まれていると感じるし)

 

 

 

 

最後に、からくりサーカスのオートマータで、最後に仲間(?)になって、ハーレクインという敵のオートマータと戦ってる時の、パンタローネの言葉で締めくくろうと思う。

 

ハーレクイン「なんでぇ?オレっち何か、おもしろいコト、言ったかい?」

 

パンタローネ「くっくっくっ…我ら「最古の四人」は、いつもフランシーヌ様を笑わせて差し上げようとしてきた…滑稽な仕草や韻律、楽しい言葉を研究したりしてな。だが…フランシーヌ様は少しもお笑いになられなかった…今、わかったよ。それは…」

 

 

「私が一度も本当に笑ったことがなかったからだ……」

 

 

 

 

 

男根崇拝が面白い

 

 

男根崇拝は面白いのである。

 

とりあえず、僕が実際に触れたことのみ書こうと思う。

それも、僕が住む信州限定で。

長野県のことを何故か今でも信州と言いがちなのはなぜなのかというあたりは置いておいて、ぜひ信州にお越しの際は、実際に訪れてみて欲しい。

 

今回紹介するのは二つ。

早速の一つ目は、

県庁所在地である長野市からちょっと南下したところにある、千曲市へ。

 

戸倉上山田温泉、という温泉地がある。

そこの裏山の高台に水子供養の神社…のとなりに看板が出ている。

 

『男女和合の神 澳津神社』

 

せまーいコンクリートの坂を上ると、畳一畳ほどしかないスペースが。

そしてそのスペースが、男女和合の神の全てである!

 

男性器が右側。女性器が左。

つるつるしている・・・色はグレーだ。 

 そう!石の男根!木製ではない。そして、女性器があるのがポイントであり、

この神社の一番愛すべきところも、この女性器にある!

 

というか、この女性器の横、にある。

横?そう、横。

 

女性器の横には看板があり、そこにはこう書いてあるので、ぜひニヤニヤしていただきたい。

 

 

「水をかけないでください」

 

 

女性器をかたどった石に、水をかけるアホウがたくさんいたという証明である。これはおかしい。マンコをびちょびちょに濡らして加藤鷹の指をしながらカメラに笑顔を向ける20代前半のアホ男の姿あたりが、容易に想像がつく。

 

そんなアホ達に向けて、丁寧な文で静かに呼び掛けている看板のおかしみったらない。

是非訪れていただきたいスポットである。

 

ちなみに、その山の反対側の山を、よーく観察してほしい。

巨大な天狗が見えるはずだ。言うのは簡単だが、なにしろ天狗、である。天狗。テング。tengu。

しかも意味が分からないほど、でかい。

 

その上、桜の木に囲まれており、桜の季節には美しいピンク色の中に、巨大な天狗様がそびえ立つという謎の光景を拝むことができる。ハッキリ言って、どんな気持ちで花見をすればいいのかサッパリ分からない。

 

トドメとして、その天狗様と桜の場所の名前を「キティパーク」という。

もうどんな気持ちで受け止めたらいいのか全然分からないので、次にいく。

 

 

二つ目、今回の男根崇拝の最後を飾るのは、信州北西端の村。小谷村。

そこに、いわゆる奇祭、がある。

 

どのくらい奇祭かは、みなさんで判断してほしいのだけれど、

名前を、『ささらすり』とも言う。(正式には千国諏訪神社例祭)

 

とりあえずザッと大筋を説明すると、

『ささら』と呼ばれる男たちがいる。

 

ひょっとこのお面をかぶり、頭は手ぬぐい。またはその上に麦わら。

服装は、はっぴのような、半裸のような、とにかくだらしない着物。

足には草履だったり藁の長靴だったり、便所のスリッパを履いてるやつもいる。

 

ここまででも十分変だが、ここからがキモ。

 

この祭りは、

背中に巨大な男根を背負い、左手には真っ赤な、ながーい男根を持ち、

右手に持つもうひとつの棒で、男根をガリガリと擦りながら、(自慰行為の意味で)

 

全力で走って、逃げ惑う若い女性たちのお尻に、真っ赤にそそり立った男根を「ドスッ!」と当てる祭りである。

 

異様である。すげぇ祭りである。

 

しかし、ささらに扮する男たちも、普段は普通の青年なわけで。

いくらひょっとこのお面をして顔が見えないからと言って、うら若き乙女たちの尻に、変態的な恰好をして男根をドスドス当てるには勇気がいる。

 

そこでどうするか。実際にささらに扮したことのある知り合いに聞いてみた。

「しらふであんなこと、とてもじゃないけどできないだろう?だから、祭りが始まる前に、日本酒一升くらい飲まされんだよアレは。もうベロンベロン」

 ぶはははははっ!なんだこの祭りは!

 

おもしろいじゃないか・・・

ちなみにこの地域の子供たちは、そんな異様な『ささら』達に例外なく恐怖を覚える。

だいたい号泣する。

 

なので、悪いことをすると、「そんなことしてると、ささら呼ぶよっ!」

と親に脅されたりする。実際に目で見て、体で恐怖を体験してる分、架空の鬼なんかよりも断然コワいので、テキメンに効く。効きすぎて号泣して、手に負えなくなったりもする。

 

 

そんな素晴らしいささら祭りだが、人口3000人程度の村な上に、

昨今の少子化により、絶滅の危機と言ってもいいと思う。

 

小さい集落の、いかにも『地元のお祭り』といった風情だが、たくさんの人に知ってほしいので記事にしてみました。

 

JR千国駅という無人駅からも、歩いていける場所にある神社で毎年9月の中頃に開催されているので、興味のある女性は、ぜひ男根をお尻に当てられに来て欲しい。

 

真っ赤なたくさんの男根が、あなた様のお越しをお待ちしております。

 

 

 

 

 

それではまた偶数の日曜日に。ごきげんよう。

 

 

 

 

 

元・新隊員も面白い

 

 

新隊員が面白い、という記事を前回書いたけれど、

実は、元・新隊員も面白いのである。

 

新隊員が、前期3カ月の教育期間を終えると、各地の部隊へ送られる。

どのように送られるかというと…

 

ドナドナです。

いや、ほんとに。ドナドナです。

 

荷馬車にゴトゴト揺られていくんです。

みなさん、高速道路とかで、自衛隊のトラックを見たことがありますか?

 

あれ、うしろがパッカーン!ってあいてるでしょう?

ご存じない?左右にずらーっと迷彩服が並んで座ってるのが見えるアレですってば奥さん!

 

シートベルト?そんなもんあるわけないじゃないですか。

自分の身は自分で守れですよ自衛官はいつだってね!アッハッハ!

(え?もし衝突とかしたら?知らない。踏ん張れってことじゃない?ウフフ)

 

あの荷台です。

マジであれにゴトゴト揺られて。

ある晴れた昼下がりに。

 

可愛い子牛というか、可愛くない迷彩服の坊主頭が、全国各地に売られ・・じゃなかった、送られていくわけです。

 

前期教育が厳しければ厳しいほど、その荷台に乗る直前に、ドラマがあります。

そう、3カ月にわたり、僕らを叱り続けてきた鬼の班長たち。

彼らが、別れのその最後の瞬間、人になるのです。

 

実は鬼ではないのです。とてもいい人たちなんです。

僕らを教育して、叱りに叱り続ける任務なんです。

人間同士が、全力でぶつかる日々を3カ月も続けてたら、情がわきます。

 

あんなに怖かった班長が、最後の挨拶をします。

その時、班長が鬼から人に戻るんです。あれはずるい。

鬼が目を真っ赤にして、涙こらえてる。

 

決壊。涙腺決壊。

坊主頭たちは、どの班も、班長との別れでゲロ吐きそうなくらい泣きます。

 

だって、分かっちゃうもの。

班長たち、本当は優しいって。

 

だから、ドナドナの歌の雰囲気はぴったり。

悲しくてたまらない。頑張ったから、涙が出るんです。

 

 

でも、頑張らないやつは、涙なんて出ません。

前回も書きましたが、どうもクズには教育とか関係ないようでした。治らないあれは。不治の病ってあるのね。

 

根本の人間性がどうかしてる奴が、半年の厳しい教育期間が無事に終わったとてね!

人として正常になるわけがなかったぜマイト!

 

 

新隊員につきものの事件といえば、脱柵。

そう、夜中とかにこっそり、駐屯地の柵を飛び越えて、逃げちゃう。ツライから。

 

でも、僕の同期は、どうかしてるのが多かったのかなんなのか、

教育期間とかとっくに終えて、一人前の自衛官になったはずなのに、カジュアルに脱柵して夜中にTSUTAYAとか行っちゃう大馬鹿とかもいたりいなかったり。(もちろんバレるので処分されます)

 

外出届を出して、そのまま帰ってこない奴も、自衛隊ではあるあるです。

でも、そこは自衛隊の威信にかけて、探されます。

 

見つかるまで、探します。

 

サラッと書きましたが、大事なのでもう一度。

見・つ・か・る・ま・で、探すんです。どれだけ時間かかろうが。

これはですね、すごいですよ。逃げきることはほぼ不可能です。

 

ちなみにこれまた僕の愉快な同期、仮名『岡ちゃん』としましょう。

岡ちゃんの見た目は、「刑務所の中」という漫画の主人公にそっくり。

(知らない人は検索してみてください。そっくりっていうか、同じ顔)

 

とにかく、新隊員のころから、ダメな子っぷりエレクトリカルパレード

 

その岡ちゃん。部隊に正式配属されて、だーいぶ経ったある日。

外出したまま、帰ってきませんでした。

 

「逃げ切れるわけない事ぐらい知ってるだろうに…ホントに阿呆なのかあいつは…?」

と同期たちが噂します。

 

2週間が経ちました。

「まだ見つからないって?2週間かあ・・相当遠くまで行ったかなこりゃ」

と、またまた同期たちが話していた、次の日。

 

駐屯地から徒歩5分のマクドナルドで、岡ちゃん捕獲される。

 

朝マックの時間に、店内に入ろうとしてたのを、上官に後ろから首根っこつかまれて。

「よーお!岡じゃねぇか!久しぶりだなぁ!元気か?んん?」って。

 

同期一同「ぶはははははぁああっ!なんなんだアイツはー!逃げる気あんのか!あーははははは!!!!」

 

(もちろん、そういうのは許されませんので、それ相応の処分をされます。良い子は真似しないでねフフ)

 

 

見つけて欲しかったんでしょうか。あれは。いまだ謎です。岡ちゃん。

あ、諜報部隊に目をつけられると嫌なので、言っておきますが、そんなことが、あったりなかったりです。なんなら、全部僕の妄想ってことで!ハッハッハ!

 

 

では最後に、このブログはもてらじ村という集団に参加させていただいていますが、その主である、ぶたおさんから、ホモの話のリクエストをいただきましたので、その辺をチラッと話して、今回は終わるとします。

 

ホモ。

ゲイとか、同性愛者とかいう言葉は、自衛隊には似合わない気がします。

ホモ、がバチッとくる。「テトリス棒入ったーー!」くらいバチッときます。

 

 

新隊員のころ、班長に聞きました。ホモっていますか?と。

すると、「いると思うか?」と聞き返されたので、

「いると思います」と答えました。

 

班長「俺は10年以上自衛隊に所属しているが、正直、1人も知らん。噂でも聞いたことないぞ」

(そうなのかぁ・・・ふぅん。)

 

そうです。自衛隊にホモなんていないんです。

 

 

 

 

 

 

が!!!!

僕が退職する直前のこと。

 

これまた僕の同期の、島村(仮名)の情報が飛び込んきました。

 

島村のスペックを一応。

おとなしい性格。むっちり体系。色白。眉毛太い。モテない。異性愛者。

 

ここからはボヤかします。

ヒントだけ。

 

1.島村

2.シャワー室の共同脱衣所

3.上官がドアを開ける

4.後輩のガチホモ

 

 

 

・・・以上です!!キャップ!!!!!!

 

 

 

 

 

それでは、また偶数の日曜日に。ごきげんよう。

 

 

 

 

 

 

新隊員が面白い

 

自衛隊は、面白いのである。

過去に在籍していた僕が言うんだから、間違いないと思ってほしい。

 

とりあえず憲法9条だとか、シビリアンコントロールだとか、勲なき軍隊だとか、

その他もろもろのややこしい話はさておく。

なぜなら、さておかないと、コワいからである。

 

あの組織の、徹底っぷりったらない。

 

まず、在籍していた僕ですら、謎すぎるほどのベールに包まれている

諜報部隊が、日々ネットやら電話回線やら電波やらを見回っておるので

下手なことは書けないし、言えないのだ。

 

特に、武器庫の場所とか、軍にとって不利益になることなんて

もってのほか。ちゃんと除隊する際には

 

(貴様分かってるだろうな?ん?下手なことしおったら、タダで済むはずがない事くらいは!まあ辞めるとはいえ何年もこの中で過ごした男にわからぬはずもないがな。念には念を入れさせてもらうぞさあ書け!さあ!よく読んでサインをするのだ!さあ!さあさあさあ!)

 

みたいな誓約書だって書かされる。

ていうかそんな機密情報ペラペラ喋っちゃう阿呆が本当にいるのか?

 

・・・いるだろうね!ハッハッハ!

 

そのあたりの動物園っぷりは、また後で書くとして、

まずそもそも、自衛隊に入隊する時点で、徹底して新隊員の過去やその他を

隅から隅まで調べ上げられる。(上官から聞いた話ね)

 

つまり、入隊できた時点で、怪しい活動家じゃないか、

軍にとって不利益な人物じゃないか、など、最低限のふるいにかけられ、

安全な人間だと判断されたと思って間違いないということらしい。

 

そして無事に入隊できた時点からも、1分単位で徹底が続いていくことになるのだが・・・

 

【新隊員という人生のボーナスステージ(?)が襲い掛かる!】

 

そうなのだ。何といっても、入ったばかりのヒヨッコたち。新隊員。

この時期には面白さがぎっしり詰まっている。詰まりまくっている。

業務スーパーのリッチショコラケーキくらい、みっちりとだ。

 

とりあえずバリカンである。

元銀行員も、大学院出も、元ビジュアル系バンドマンも、元歌舞伎町ホストクラブオーナーも、元いじめられっこも、単なるミリタリーマニアも、(ちなみに全部実際に僕の在籍してた教育隊にいたが)

 

過去なんかまったく関係なく、18歳から26歳までの男たちが次々とボーズにさせられ、長ーーーい廊下にパンツ一丁で背筋を伸ばして座る。

 

圧巻である。

誰が誰だかサッパリ分からない。

 

(あ、あのイケメン、ボーズになったら頭の形悪っ!どうしよう、急に友達になれるような気がしてきたぜ…)

 

みたいな気分になること受け合いだ。

ていうか、こんな調子で時系列順に話していったら、飛鳥涼の例のブログより長くなっちゃうのでガンガン割愛していくと、

 

とにかく前の日まで、ぶっちぎりで知らない奴ら9人が(教育隊のデカさ等によって違うが)、同じ班員となり、急に運命共同体になる面白さといったら、すごい。

 

9人もいれば当然、できるやつも、できないやつもいる。

だがしかし!そこが新隊員教育隊である以上、逃れられない宿命がある。そう、

 

『連・帯・責・任』の4文字である。

 

自分がミスしなくたって、関係ない。

班員の誰かがミスしたら、基本的に床にヨダレ、もしくは涙、または得体のしれない体液が垂れるまで腕立て伏せをさせられる毎日が待っている。

 

デキる奴も差別なく、キッチリ怒られる運命にある。

「おい!おい佐藤っ!!お前体力それだけ優秀なのに何で笠原の銃を持って走ってやらねえんだよっ!見ろよっ!笠原はもう銃の保持できてねえじゃねえかっ!てンめぇぇぇ!!!自分だけ良ければそれでいいのかお前はああああああああああっ!!!!」

 

とにかく、ここは世界がまるっきり違うことを、叩き込まれる。

僕が入って数日目で衝撃を受けた、鬼の班長(班長たちは、曹という位の若手)の言葉は、

「バカヤロー!!!ここはシャバじゃねーんだぞっっ!!!!!」

 

そう、確かに僕らは、塀の中にはいた。

あの困難極まる休日の外出の難易度。あれは仮出所の手続きだと捉えれば、なるほど合点がいった。

 

本当に、新隊員の外出は難しい。なんなんだあれは。

班全員の服装やらヒゲ。アイロンや靴磨き等のやることは終わっているか。

様々なややこしい提出物を受理されて、ようやくなのだ。誰か下手なミスでもしようもんなら、その週の外出は諦めるほかない。もちろん班の9人全員。

 

泣く泣く、通称PX(ピーエックス)と呼ばれる、駐屯地内に必ずある売店にみんなで行って、果汁グミでも買ってくるしかない。

 

ていうか、果汁グミを買いに行くのだって、どれほどの困難か知れない。

9人の班行動はもちろん、列をなすのだ。全員で掛け声を出しつつ腕を振って歩いて、曲がる時や止まる時はそれぞれの号令をかけないと誰も止まれないし、曲がれない。

 

新隊員より下の位はないわけだから、誰かとすれ違うたびに全員で立ち止まって

「お疲れ様です!」と声を張り上げて敬礼をビシッ!ビシッ!としないといけない。

 

だから、この記事を見ている皆さんに言いたい。

果汁グミをスッと買いにいけることは、幸せなことなんですと。

 

日々の生活の中、ほんのちょっとでもズルをすれば、どういうわけか鬼の班長にバレる仕組みになっている。実に不思議だった。なんならあの新隊員の生活以来、ズルをすると怖い!という刷り込みが入ってしまって、あまりズルできなくなった気もする。

 

ズルは当然、腕立て伏せである。

レベルによっては、そんじょそこらの腕立て伏せじゃ済まない。

 

もうね、新隊員を数か月もやってればね、どんないじめられっこだってね、腕立て伏せのアゴ付け(床にアゴをつける自衛隊スタンダードの腕立て。反動を使ったり体を反らしたり丸めたりしてはいけない。手の位置や足の位置も決まっている)が、50回くらいはふつうにできるようになっちゃうよね!

 

すべては団体行動を、頭ではなく体に叩き込むため。

連帯責任のパワーは、すごいんですって。ほんとに。

 

だってね、例えば自分が腕立て伏せ限界だとしますよね?

床にへばりますよね?

そしたらですよ。鬼の班長が、腕パンパンで涙と鼻水ズルズルな僕を立たせるんですよ?

 

「はい。宮下二士(二士は新隊員の階級。自衛隊で最も下っ端)は限界だそうです。なのでお前らは代わりに20回ずつ追加な。宮下はそこでみんなを見ろ。お前ができないっていうから、お前の分を、みんながやってるんだ。見ろ!見ろおおっ!」

 

班員のみんなも、泣いてるんですよ?

そんなツラいことあります?普通の神経だったら、みんなに申し訳なくて、自分がふがいなくて、どうにかなっちゃうでしょう?もっと頑張ろう!俺!みんなに迷惑かけないように頑張ろう!って思うでしょう?

 

仲間意識、高まりますよねー。イヤでも。

実際に体験したらわかりますよ、新隊員はすごいんだから。

腕立て伏せからめた話だけで、こんなですよ?氷山の一角ですもの・・・こんなエピソードなんて。

 

『可愛い子には旅をさせよ』なんて言いますが、僕のおススメは、

『可愛い子には新隊員させよ』です。

 

「ああ、大丈夫です。僕ふつうに外で寝れますから。あ、でもできたらブルーシート一枚あれば最高です」

って言えちゃう、たくましい男になったりします。

 

もちろん、ならないやつもいます。

ていうか、ちゃんとクズもいます。

 

クズはたいてい、『脱柵』します。

だっさく、です。

 

ということで、長くなっちゃいましたが、新隊員の話はキリがないので、

今日はこの辺にしておきます。面白いこと、まだまだあったんですけどね。

 

もし反響があれば、『脱柵』する奴らは面白い

みたいな話なんかを書くかもしれませんが。

 

自衛隊とホモ、の話とかもいいかもしれませんね。

それでは隔週の日曜日にお届けしました。ごきげんよう

 

 

冬眠から目覚めると

 

 

2016年、春。

 

このブログは冬の眠りから目を覚まします。

 

そもそも誰も、眠ったことさえ知らないほどの知名度であることは置いとくとして、雪が溶けたと同時に、ポンポンと地表から顔を出しまくるふきのとうの如く、

 

このブログも目覚めるったら目覚めるんである。

 

そして、もてらじ村民ブログとして2年目の2016年は

『アレが面白い』

をテーマにして書いてゆきます。

 

そう、冬眠するたび、テーマが変わっていくのが、このブログの正体。

 

ふはは、知らなかったであろう!

なにしろ僕自身も、いまさっき思いついたやつだからな!

 

 

ということで、

≪抱きしめ合ったら脇汗≫の2016年が、4月からまた始まります。

更新は隔週日曜日。今年もどうぞよしなに。

 

(11月から、また冬眠に入ります♡)

 

 

冬季冬眠のお知らせ

 

 

皆様、日ごろ『抱きしめ合ったら脇汗』のご贔屓ありがとうございます。

 

といっても正直、贔屓されてる感じは今のところ全くしませんが、とにもかくにも、ありがとうございます。

 

2015年春から、もてらじ村民として参加させていただき、毎週日曜の更新ペースをなんとか保ちつつ、年の瀬を迎えることができました。

 

ですが、当ブログは冬季多忙のため、しばし眠りに入ります。

 

雪国にも梅の花がちらほらと咲く頃にまた、復帰する予定です。

 

春からは、このまま作り話を書いていくのか、方向転換するのか、それとも霞のようにスッと消えていくのか、まだ検討中でございます。

 

皆様、よいお年を。

おやすみなさい。

 

 

離婚記念日

あ、マスターありがと。


はい、ということでね、


みなさん改めましてこんばんは。


まさかこの中に知らない人はいないでしょうけれど、スナック「しがらみ」のママです。


今日はね、あたしの離婚記念日に多くの皆様に
お越しいただきまして、とっても嬉しいです。


あ、知らない方もいるんだったわね、

説明しておかなくちゃね。

 

そこにいるマスターが、あたしの離婚したダンナ、ってわけじゃないの。

彼は、言ってみれば店長さん。

ね。マスター。


あたしの前のダンナは、今、府中です。

そう、塀のなか。


府中って聞いて、分かるひとは分かると思うけど、

あそこは、初犯が落ちるとこじゃないわ。


彼が、その前にいたのは、網走。

あたしたち、まだその頃は結婚してたの。

 

でね、


彼、ある組織の鉄砲玉だったの。


いまどき、鉄砲玉なんて国宝級よ。業界では。

今の本物のやくざは見た目から中身まで、ほとんどカタギと変わらないもの。


そんな中であたしの前のダンナは不言実行、

抗争相手の親分のタマをとっちゃって。

 

でも今の世の中、鉄砲玉なんて気味悪がられるばかりだからね、

網走のオツトメを終えて出てきたら、

もうまわりに誰もいなかったの。


みんな、知らんぷり。

 

でもね、あたしは彼を愛していたから。

 

「このスナックを一緒にやろう、政ちゃん!」

て、言ったんだけど、


彼、悲しそうな顔してこう言ったの。

 

「塀の中に13年もいりゃあ、もう立派な塀の中の人だ。

お前は器量もいいし、美人だ。

俺みたいなひとごろしとくっついていたんじゃ、

ずっとクスブったまんまだろう。

お春。いいか。

俺と別れて、もう一度人生やりなおすんだ。

俺にはもう、世間がちょっとばかし、めまぐるしすぎる。」

 


泣いて止めるあたしに、一度振り返ったきり、

彼、行ってしまったの。

その足で、もう一度罪を犯すために。

 

彼が、再犯専門の府中刑務所に落ちたあと、

あたしたち、正式に離婚したの。

 

でもね、

この離婚は、あたしの愛した、前のダンナ、

政ちゃんからの贈り物だって、

あたしは思ってるの。

 

いま、こうして、たくさんのお客様に囲まれて、

お店を営業できているのは、そういうことだと思わない?


だから毎年、この日になると、

こうしてささやかなお祝いをしてるってわけ。


ざっと話せば、こんな短い話なのにね。


さ、というわけで、みんなグラスは持ったわね?


それじゃ、かんぱーい!

みんな、ありがとー!

 

テンゴク

 

 

「まあ、今さら失うものも無いから、話すけど。

あのさ、たい焼きでよく、頭から食べる派とか、尻尾から食べる派とかいう話、するでしょう?

僕の定番はね、握り潰して出たあんこをち○こに塗って、手を使わずに食べるやつなんだけどさ、

ある時ムリして、もうちょっと根本の方まで食べようとしたら、首の骨が折れちゃったんだ。」

 

話し終えると、目の前のイスに座って聞いていた、小柄な上に童顔のせいで、化粧が全然似合ってない仏頂面の女の子は、
意外にも可愛らしい笑顔を見せた。


笑顔は魅力的だったが、笑われたら何だか急に、間抜けすぎる自分に嫌気がさしてきた。

今すぐこの場から去りたい衝動をこらえて、とりあえず女の子にもココに来た経緯を尋ねると、

 

「あ、私はあのー…バイブを2つか3つくらい同時に使ってたんですけど、そのうちの一番おっきなやつを、もうちょっと強力にしたくて、先っぽ入れたまま配線いじってたら、感電しちゃって。」

 

 

…僕はひとつ大きな息をついてから上を見上げて、

あの世って意外にいい所だと思った。

 

 

 

おしりのお仕事

 

 

世の中が、おしりにオープンな世の中になってずいぶん経つ。

 

10年ひとむかし、なんて言うけれど、本当にそうだ。

10年前は、女が男にお尻をなでてもらうことが、ぜんぜん一般的じゃなかった。

市民権を得た、とでも言おうか。

 

町の大きなスーパーのテナントに、もみほぐし系のマッサージ店があったりするが、

それとほぼ同じくらいの割合で『おしり撫で』の店が無数にある。

 

基本的には‟おしりを撫でる側”は男性だったが、最近では男になでられるのに抵抗のあった同性愛者の方に向け、女性スタッフを常駐させるサービスもあったりする。

 

そのように異性を意識しているという面では、マッサージよりも多少はセクシュアル寄りなのかもしれない。

 

僕が小学生の頃にはすでに、おしり撫では定着しつつあったし、

一度親戚のお姉さんに、「色々疲れたからちょっと撫でてくれる?」

と言われて撫でたら、素質があるよ、うまいねと褒められた時からぼんやりと、

(将来はおしり系の仕事をしたいなぁ)と思うようになっていたので、

大学卒業後の進路に迷わずおしり系のサロンに就職した。

 

正直、自信はあった。

しかし、研修を終えて、お店に出てから一週間。

僕がおしりを撫でた女の人が、眉間にしわを寄せて何かを我慢していたり、涙を浮かべていたりすることが続いた。

 

そしてちょうど一週間目の最後のお客様に、ぼくは大声を出された。

「ふざけないで!そんな触り方して!」

お疲れさまでしたと声をかけたが、なかなかベッドから起きないなと思ったら、

急に立ち上がり、赤い顔をしてそう叫んだ。

 

「愛情込めたでしょ!!やめてよ!!」

 

「あなたね!愛情込めて触られたこっちの身にもなってよ!あんなに優しくなでて、さぞかしあなたの自己は満足したでしょうね!でもあなたに押し付けられた愛情を抱えて、私はこれから誰もいない家に帰るの!!!意味分かる!?それとも何なの?今後の責任とってくれるとでも?違うでしょ!ふざけないでよ!!ふざけないで!!!」

 

 

立ち尽くす僕は早々とバックヤードにさげられ、店長が平身低頭して謝っていた。

 

 後で聞いたが、店長は僕のおしりの撫で方が一部のお客様の逆鱗に触れることを知っていて、泳がせていたそうだ。

感情や愛情の加減というのが、おしりを撫でるプロとしての腕の見せ所であり、新人がお客様に泣かれるというのは、この業界では登竜門というか、必ず通る道らしい。

 

(女の人を泣かしてしまったけれど、やっぱりこれは、いい仕事だ。もっとおしりの事を知りたい)

 

そう思いながら僕は、帰路に就いた。

 

 

それでも僕は誰かの胸の中

 

 

 


もうどのくらい経っただろう


この前、世界が終りました


あっという間でした

生活の空気を残したまま、町並みを残したまま
人間はいなくなりました


大好きな妻と、僕だけを残して。

 

世界が終るまえ、僕は
(この人と、世界に2人だけでもいい)
とさえ思っていました。そのくらい大切な人でした

 

でも、本当に世界が終って、
僕たちはケンカばかりするようになりました


本当なら、こんなときこそ支えあえるはずの相手なのに
(もうこの人の顔しか見ることができないんだ)
と思えば思うほど


なんでだろう
大好きだったはずのあの人の顔を見るのも辛くなっていきました


次第に、昔好きだった人達がどんどん頭に浮かんできて
妻以外の女性のことばかり考えるようになりました


そして妻の方も、僕の顔を見ることはもちろん
そばにいることさえも苦痛に感じ始めているということが、手に取るように伝わってきます

 

まわりの環境なんかに関係なく愛し合っていたはずの僕ら2人は、
まわりの環境が変わったというきっかけだけで、
ついには別々に生きていくことを選択しました


僕と妻は、お互いを一度も振り返らず、反対の方向へと歩き去りました

 


もうどれくらい経っただろう


僕は、とても孤独です
孤独は、気が狂いそうになるほどつらい

それでも、ふたたび妻に会いたいとは、思いませんでした


僕が妻に感じていた、あの絶対の愛情や、絆は
いったい何だったのか

人の心変わりの恐ろしさが、現実として僕の中に現れ、
実感として体中に刻み込まれました


次第に僕は心を壊し、誰もいない薬局や病院に忍び込んでは
安定剤をバリバリと、ピーナッツみたいに食べるようになりました


食欲も失せ、荒んだ僕の心にひとつだけ確かに残ったものは

少なくとも僕は

誰か一人だけを愛せるほど純粋な心を持ち合わせてなんかいない

ということ

 

あれだけ愛したはずの妻
次々と頭に浮かんでくる、好きだった人や、好きだと言ってくれた人達

純情で一途だと思い込んでいただけの
ただの気の多い僕


いつの間にか僕は、地面にうずくまっていました

歯を食いしばって、自分を責めながら、
悔しくて、
悲しくて、
申し訳なくて、
車も人もいない道路にひとりヒザをついて、
頭をコンクリートにガンガン打ち続けました

 

 

その時でした


「もうやめな。死んじゃうよ」


顔を上げると、そこには、
妻と結婚することになったと告げた時に
「・・・うん。分かった」
とだけ言って去っていった女性が立っていました


「ごめんね。嘘なの」


「世界が滅んだのもね、全部嘘なの」

 

気がつくと、僕の周りには、知っている人たちがたくさんいました
みんな、申し訳ないという顔で、僕を見ていました

『なんで?』

僕は、放心状態で聞きました


すると彼女は、僕の頭を抱えて

「ごめんね。ほんとうにごめんね。
私が謝ったからってどうなることでもないんだけど、
ほんとうにごめんなさい」

と言って、身体を震わせて涙を流しました


いつの間にか僕は、彼女の服に顔を押し付けてしがみつき、
狂ったように大声で泣いていました


妻ではない人の胸の中は、信じられないほど僕を癒しました

 

 

世界が元に戻って、

僕は正式に、妻と離婚しました

 

とりあえず、再び僕は日常を生きています


生きることは、失っていくこと
得て、失っていくこと
妻と結婚していた頃の僕は、
なにもかもを未来に持っていこうとしていました

 

僕はきっとまた、女性を好きになる

その時には、その人の全部を請け負おうとするおごりは
もうやめようと思っています

 

 

 

それでも人生にはたまに楽しいことがあるから、それでいいのよ

 

 

 

 

 

 

「過去」はもう、決して変わることはありません。


じゃあ「未来」は変わるかというと、

そんな保障は誰もしてくれません。

 

もし保障すると言う人がいたら、信じたいですよね。

 

ただ

 

期待しても、傷つくのは自分です。

 

 


「未来」には、ただ希望を持つだけ。

それが「今」の為に必要なこともあるからです。

それでも期待はしません。


同時に、「未来」に期待しないということは

「未来への不安」にも、意味がなくなるということです。

 


期待することは、自己責任です。


就職・金儲け・恋愛・結婚・出産・長生き。

どんなことに期待するのも、すべて自己責任なんです。

 

 

・・・

 

 

はーい、じゃあこれで
今日の1年3組のホームルームはおしまいでーす。
みんなにはちょっと難しかったかな?

 

はい先生!

 

ん?なあに?

 

えっとね。ボクにはよくは分からなかったんだけどね、
たぶん先生は、つらいことがいっぱいあったんだとおもう。

 

・・・ふふ。君はきっと、いい男になるわね。
15年後に君のとなりにいる女の子が、先生はうらやましいわ。

さ、今日は光化学スモッグ注意報が出てるから
みんな寄り道しないでまっすぐ家に帰るのよー

 

はーい!
はーい!
はーい!

 

 

 

 

じゃがいもはたべもの 芽には毒

 

 


青酸カリを盛る勇気なんか無いから、
代わりにアーモンドばかり食べさせた。


旦那は、ニキビだらけになった。

 

旦那の事は、好きだし、嫌いだ

 

(この人しか一緒に暮らしてもいいと思える人はいない)

そう思う気持ちがある反面


(なんで私のそばにいるんだろうこの人)


と、ふと頭にきたりすることが多い

一緒にいるだけでイライラする事が多い

 

でもいなくなったら淋しい

他がみつかればいいのかもしれないけれど
もう一から探すのがめんどくさい

もう長いこと
男ウケするようなモードに入ってないから
また男たちに見せれるレベルになるかどうか
自信も湧かないし

 

旦那には依存してるんだろうけど
依存されるとうっとおしい

 

自分自身が嫌いになりそうな時は
たいてい旦那のせいにして暮らしてる

 

とても大切な存在だけど
消えて無くなってほしいとも思う

死んで欲しくないけど
消えてほしい

 


殺意と慈愛に満ちた気持ちのまま

おそらくこれからも私と彼の関係はだらだらと続く

 

 

 

あとづけ

 






僕は死んだ




新聞の隅っこに記事が載った

“どうして気づいてあげられなかったのか。確かにサインはあった”

みたいな事が書いてある


僕は、鼻で笑った



サインをたくさん出したら出したで
かまってちゃんだとウザがるくせに
 

こどものオキモノ おとなのワスレモノ

 

 

「ねぇ、おねーちゃん。びっちってなあに?」

 

『…知りたい?』


「うん」


『おねぇちゃんみたいな人のことだよ』

 

「ふぅん」

 

 


それからしばらくして、おねーちゃんは死んじゃった


最後に病院で会ったとき

『ねぇコータ、もうびっちって言葉、使っちゃだめだよ?
親戚のみんな、おねぇちゃんのこと思い出して
イヤな気持ちになっちゃうから。
みんな、おねぇちゃんのことあんまり好きじゃないから』


『ほら…約束』


おねーちゃんの小指は、カサカサしてた

 

僕は今も、おねーちゃんを忘れていない

おねーちゃんの病気のことも、なんとなく分かってきた

お父さんもお母さんも親戚のおじさんも、その話が嫌いみたいだってことも分かってきた

おねーちゃんは確かにいたのに、最初からいなかったみたい


僕は少しずつ、親戚のみんなの事が嫌いになった


言うことを聞かない僕を、みんなも嫌いになったみたいだった

 


誰かが

“素直でいい子だったのに”

と言った

 

“あの子のせいよ”

と言った


僕にはそれが、おねーちゃんのことだって分かった

 

叫んで暴れた僕を、大人たちは力ずくでおさえて、殴った

 

僕は走って近くの神社まで逃げた

悔しくて涙が出た

 

 


僕はその日
神社に大切な僕を置いて行こうと決めた