抱きしめ合ったら脇汗

1年ごとテーマの変わる冬眠型もてらじ村民ブログ

日本酒蔵の呑み歩きが面白い

 

 

日本酒蔵の呑み歩きは面白いのである。

 

新潟県はコメがうまいので日本酒どころだが、

長野県は水がうまいので、これまた日本酒どころなのだ。

 

商店街の中に湧き水を飲めるスポットがたくさんある大町市というところで、

1年に1度、たった4時間だけ開催されるイベントがある。

 

その名も『北アルプス 三蔵呑み歩き』だ。

 

名前そのままのイベントなのだけれど、

まず、1500円でお猪口を買う。利き酒でおなじみの、底に青でぐるぐる模様になっているアレ。

 

そのお猪口には、実は魔力がある。

悪魔的な効果により、酒蔵の杜氏達だけを解放的な気分にさせる。

 

杜氏「お?そのお猪口はなんだか気分がいいな…よし!ウチの酒蔵の酒、いくらでも呑んでいけバカヤロー!あっはっは!あっはっは!」

 

となる仕組みを利用している。

酒が飲みたくても飲めなかった江戸時代の庶民が、武器を持たず血を流さずになんとか酒にありつけないかと、霊感あらたかな婆さんに頼み込んで「酒蔵も生活があるでの。年に4時間きりじゃぞ」ということで昔から土地に根付いた風習の名残りである。もちろん嘘だが。

 

このイベントの優れている点は、

・駅からつながる(さびれ気味の)商店街がすぐ会場なこと

・それ専用の電車(たしか、ほろよい号、と言ったか)が出ること

・三つの酒蔵とも、商店街近辺にあり、容易に歩いて行き来できること

・ふるまいのお漬物やお惣菜、オニギリなんかも提供されており、家族連れも楽しめること

・普段は入れない酒蔵の中まで見学できること

・真昼間からお猪口に地酒を入れて呑みながら堂々と商店街を歩ける非日常感

・タクシーで10分程度で大町温泉郷があり、そのまま温泉と宿泊に連動できること

 

などが挙げられると思う。

 

三つの酒蔵をそれぞれ創業順に並べると、

・『金蘭黒部』の市野屋商店 (慶応元年創業)

・『白馬錦』の薄井商店 (明治39 年創業)

・『北安大國』の北安醸造 (大正12 年創業)

となる。地元の人でも好みは分かれる。

 

 

 

では、ここからは写真とともに。

 

北安醸造の入り口。

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入り口の樽酒は、標準グレードのやつ。

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このイベントがお得で楽しい所以は、高い酒がバンバン飲める!という点だろう。

3つの蔵でそれぞれ、純米や吟醸酒はもちろん、その日にしか出さないスペシャルな限定酒を出してくれるのだ!これは嬉しい。

 

奥に進めば、普段立ち入ることのない風景にも出会える。

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ごつくて急な階段があったり、巨大な釜に井戸水が注いでたりする。

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歩いて次の酒蔵、薄井商店へ。

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ここでも七種類くらいの酒が用意されていて、ウマイのでつい皆ガンガン飲む。

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ふるまいのお漬物をむしゃむしゃ。

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薄井商店の社長が、お酒を燗につけて、お酌してくれたりもする。

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創業が一番古い市野屋商店は、商店街の表側にあるため、激混みだった。

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原酒や吟醸酒、雪中埋蔵酒、にごり酒など、やはりどれも味が違うし、

当たり前だけれど、同じ雪中埋蔵酒でも、酒蔵によって味が全然違うから、飽きることがない。

 

 

そして、これだけ偉そうに解説しておいてなんなんだけれど、

実は僕はこの日、痛恨のハンドルキーパーであった。

 

僕は下戸であるが酒の味は好きなので、もちろん、三蔵の酒はそれぞれ飲んだことはある。「じゃあいいじゃないか、地元だからいくらでも買えるでしょ?」と思われるかもしれないが、よくない。

 

だって、この日だけのスペシャルな酒、飲みたいよ!

あと貧乏だから大吟醸なんてめったに買えないんだもの!!

 

でもね、仕方ない。

この日は、前回の記事で紹介したアーチェリー。それの月に1度のレッスンの日だったので、レッスン終わって速攻車を飛ばし、ジャージのままの生徒さん達を引き連れて参加したのでね。

 

レッスンの動画の中に、みんなで酒蔵をまわってる動画も2倍速で入れてあるので、興味のある方はどうぞ。

www.youtube.com

 

 

ということで、三蔵呑み歩きイベント、なかなか面白そうでしょう?

年に1度、昼の15時から19時までの4時間だけですよ!

9月の第1土曜に開催されてますので、興味のある方は友人知人、または酔わせたい恋人候補なんかをお誘い合わせの上、遊びに来てみてはいかがでしょうか。

 

 

それではまた偶数の日曜日に。

ごきげんよう。

 

 

 

 

 

アーチェリーが面白い

 

 

アーチェリーは面白いのである。

 

元も子もないことを言ってしまえば、どんなスポーツだって

『自分にハマってさえしまえば』面白いものなのだ。

 

 

僕はたまたま、アーチェリーというスポーツにハマった。

ハマったと言っても、『スポーツとして楽しい』という意味でのハマる、ではなくて

 

(自分の弱い体でも、強い人たちと対等に戦いができるかもしれない!)

という、

『両脚を悪くした僕が何か勝負事にチャレンジしたい気持ち』が、

アーチェリーという競技の特徴に、ハマったのである。

 

ポイントは、同じ土俵での勝負、という点だった。

 

例えば、車いすバスケット。

この競技をご存じの方は、たくさんいらっしゃることと思う。

井上雄彦の漫画『リアル』なんかでもお馴染みだ。

 

すごく激しくて、障害者競技の中では盛んなスポーツだけれど、

バスケットと、車いすバスケットが同じコートで勝負することはできない。

座ってる人と立ってる人では高さが違いすぎるし、そもそもルールが違う。

 

車いすテニス、はどうだろう。これは高さが関係ない。

しかし、僕はアーチェリーを始める前に車いすテニスに挑戦した時期もあったのだけれど、始めて1日目に知った事実があった。車いすテニスは、2バウンドまでOKなのである!

つまりこれもルール自体が違うのだ。普通にテニス愛好家の方と同じ土俵で戦っているようで、ハンデ戦のような形になってしまう。

 

 

他には、障害者独自のスポーツもたくさんある。ゴールボールとか。

でもあくまで障害者のためのスポーツ、という意味合いが強いので、一般の愛好家がいない。いたとしてもかなーり少ない。だからどうしても、世界が狭くなりがちになってしまう。

 

うーん。。。何か一般の大会にも出られるような、ボーダーレスなスポーツはないのか。。。と思っていたら、アーチェリーがあったのである。

 

アーチェリーはびっくりするほど、ボーダーレスな競技だった。

とにかく、当たれば勝ちなのだ。

点数が一点でも多い方が勝ちという、シンプルすぎるやつだった。

 

体のハンデとか、関係あるようで、ない。

仮に、あなたが事故か何かで『利き手である右手を失った』としましょう。

 

 

 

 

この動画をちょっと見て欲しい・・・

www.youtube.com

口で引いてる!!

 

(いいんだこれ!え?すごくない?)と思った。

ちなみに去年、和歌山の障害者国体に出場させてもらった時、僕のカテゴリーでぶっちぎりの点数でチャンピオンになった人も、口で引く人だった・・・

 

さらに仮に。

あなたの残った左腕まで、借金のせい、もしくは妖怪の仕業かなんかで、もがれたとしましょう。つまり両腕がなくなってしまったら・・・

 

 

再びご覧ください。

www.youtube.com

えええええええええ!!!

 

足で射ってる!!何が起きてるの?

そう、アーチェリーとは、とにかく色々関係ない、問答無用なスポーツだった。

当たれば勝ちなのだ。点数が高ければそれでいいのだ。

 

力の弱い女性でも、還暦をとっくに過ぎたばあさんじいさんでも、自分の力や体に合った道具を使えば、スポーツとしての勝負を楽しむことが普通にできちゃうのである。

 

希望があると感じた。

 

こんな男がいたとしよう。

小学生の頃から校内ヒエラルキーの上部に位置し、3時にはスイーツが出てくる家庭に育ち、有名私立大学卒で、年収800万、彼女に困ったことはなく、心身ともに健康で夜も絶倫。

 

そんな奴に、

小学生の頃から校内ヒエラルキーの下層に位置し、3時にはスイーツなんか出てこないので自分で小麦粉を水に溶いてフライパンで焼いてマヨネーズをかけて各々勝手に喰う家庭に育ち、なんちゃってミッション系短期大学卒で、年収100万前後のぶっちぎり貧困層、彼女に困ったことしかない、心身ともに不健康気味で仮性包茎の僕が・・・勝てるチャンスがあるかもしれない!

 

 

そこに希望以外の何があると言うのでしょう。

 

 

この異常なまでのボーダーレスさは、面白みしかない。

しかもマイナースポーツすぎて、『小さい頃からやってました』勢に出会うことが、ほぼ無い!

 

遅れをとった感が、全然ないのもいいところである。

ただ逆に、マイナーすぎて、誰かと一緒に楽しむという共有感は、薄い。

原液が小さじ1杯しか入っていないカルピスより薄い。

 

だから、誰かと一緒にやりたくて、今年からオトナ向けのレッスンを始めた。

オトナ向けと言っても、アーチェリーの道具を工夫して性具にして夜な夜なハアハアとレッスンをするとか、そういう変態方向のオトナ向けではない。

 

大人になって、ちゃんと遊ぶ機会って、減ってくる。

だってココは、生活に追われるだけになりがち大国ニッポンである。

 

だから、競技として部活のように、選手を育成するのがレッスンの目的ではない。

大人の遊び、人生の彩り、というように、アーチェリーを通して日々を楽しむことを重点としたレッスンをしたいと思ったのだ。

 

例えば、アーチェリーにも年に数冊発行される、専門の機関紙がある。

「ハッキリ言って、サッパリ分からん」

と、誰しもが言うだろう。だってあくまで、本気でアーチェリーの上を目ざす、という人に向けての本なのだから、こういうのはどうしても排他的になりがちなのはしょうがない。同じアーチェリーをするでも、目的が全然違うのだ。

 

アーチェリーのようなマイナーすぎるスポーツは、

趣味として、そして紳士の遊びとして楽しむ層がもっともっと増えないと、どうしようもないと思っている。

 

せっかくいいところがあるのに、アーチェリーを体験せずに死ぬ人がほとんどだろう。

もったいない。

(つまらない、自分に合っていない)と感じる人も、そりゃたくさんいるだろうけれど、楽しいかもしれないし、やってみたら天才かもしれないのだ。

 

興味があったら、是非僕のレッスンを受けに信州に来てください。自分で言うのもなんだけれど、アーチェリーを始める最初の入口としては、なかなか悪くないと思っております。選手としても指導者としても、全然まだまだではあるんですが、楽しんでもらえるよう精進してます。はい。一応ウェブサイトを載せておきますね。

アーチェリー白馬&カフェクーマクーマ

宣伝になっちゃった・・・

 

 

最後に、まったくアーチェリーを知らない人への豆知識的な情報をちょっとだけ。

 

●「今、世界で一番アーチェリーが強い国はどこでしょう」

と質問されたら、あなたは何と答えますか?

答えは、韓国。厳密には色々あるだろうけど、ほとんどのアーチェリーやったことある人が韓国と答えると思いますよ。卓球で言うところの中国みたいな感じと言えば分かりやすいでしょうか。

 

 

 

●アーチェリーの弓は、実は2種類あります

1つ目は【リカーブ】という弓。皆さんが想像するのは多分こっち。

www.youtube.com

(映像は韓国のトッププレーヤーのキ・ボーベさん)

 

2つ目は【コンパウンド】という弓。世界ではこちらが多数派。ランボー2でスタローンが使ってるのはこちら。

www.youtube.com

(よく見ると、弦が3つくらいあるの分かります?あと上下に滑車があります。リカーブよりも精度が高いのが特徴です)

 

 

 

●実はアーチェリーには種目がいくつかあります

 ・アウトドアターゲット(屋外で的に向かって射って競います)

・インドア(体育館など屋内で的に向かって射って競います)

・フィールド(山林に設置された的を射って競います)

・スキーアーチェリー(クロスカントリースキーとアーチェリーを合わせたやつ)

・3Dアーチェリー(発泡スチロール製の的に射って、鹿や熊の形で、急所に近いほど高得点)

 その他にも、フライトアーチェリーや、ホースバックアーチェリーというものもあります。結構いっぱいあるでしょう?

 

 

はい。

 

ということで、どこまで書いていいのか分からないので、今回はこの辺で。

また偶数の日曜日に。ごきげんよう。

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長野のデカ盛りが面白い

 

ほとんどの女子たちの心に、一切響かないであろう言葉がある。

 

そう。それは『デカ盛り』の4文字である。

 

しかしだ。食べ盛りの男どもにとって、その4文字ほど、血湧き肉踊るものはない。

 

男は、『肉眼で確認できてインパクトのあるもの』をこよなく愛する傾向にある。

だから、時間を止めちゃうAVなんかが発売されたりするのである。

 

 

僕は、今でこそ『デカ盛りの呪縛』から抜け出すことができたが、

高校生の頃から数えるとおよそ20年間の長きに渡り、デカ盛りを愛した。

 

愛しすぎて、胃が弱った。

救急車でも運ばれた。

それは、焼肉の食べ放題で満腹になった当時二十歳の僕が「お腹苦しい…でもまだ食べたい…あっ!そうだ!」と閃いて、トイレでリバースをしてお腹を空かした後、もう一度限界までモリモリと食ってしまった結果であった。

 

救急車は、自分で呼んだ。

呼んだのは、その日の夜中。大学生当時のアパートの場所が入り組んでおり、救急隊員が担架をゴロゴロさせながら迷っている声が外から聞こえたので、玄関から這って出て「ぐぅぅっ!ずっ…ずびません、ここです…」と助けを求めた。

 

診断は『食べ過ぎ』

医師の呆れた顔が、今でも昨日のことのように脳裏によみがえる。

僕はきっと前世、飢えて死んだんだろう。

 

 

他にも、

女の子とたまたま一緒だったのでテンションが上がったのか何なのか分からないが、

ココイチのチャレンジカレー企画(確か1.4kg)に挑戦した事もあった。


今にして思えば、まったく謎のアピールである。

 しかし当時の僕は、マジであった。


考えるほどに悲しすぎるが、僕がその時に脳内でアピールできる道を模索した結果、『カレーをいっぱい食う』という天竺(てんじく)にたどり着いてしまったのである。

 

あの娘の呆れた顔が、今でも昨日のことのように脳裏によみがえる。

(チャレンジにも当然失敗)

 

 

そんな風に、胃に多大なる負担をかけ続けていれば、胃が弱るのも当然であろう。

ついでに数年前の激太りからの、『背水の陣20kgダイエット』を敢行した結果、痩せることがいかに困難な道のりであるかをイヤというほど味わったので、今では少し大人になった。

 

デカ盛りだから、という理由だけで無条件にシナを作って色目を使うような、ビッチなメス猫ではなくなった。

 

しかしながら、男子たるもの、病気の小鳥が食うような、シャレオツを煮しめてキャラメリゼしたような『カフェごはん』で満腹するようになってしまっては、腹についた皮下脂肪とはうらはらの、か細いメンタルが保てないのである。

 

 

だから僕は、食い物の分別が(少しだけ)つくようになった今でも、

デカ盛りに対する熱い思いはマグマのようにコポコポと、腹の底で沸騰している。

 

 

ということで、ここで発表がある。

人気ネットラジオ『もてらじ』の企画である、『もてらじ村民』に参加させていただいているこのブログは、来年を持って、一任期を終了とする。

去年、2015年からスタートし、2017年までの丸3年で一旦、任期満了退職とさせていただきたいと思っている。(ちなみに3年間は、海上自衛隊の任期と同じである)

 

そして、毎年テーマが変わる、というカラーのこのブログの来年は、、、、

 

『長野にコレを食いに来てくださいゴハン』(仮)

 

という企画で一年間やりたいと思う。

そしてそこには当然、デカ盛りも含まれるというわけだ。

 



ということで。

最後に、もう待ったなしで閉店してしまったデカ盛りの名店を一つ紹介して、今回は終わろうと思う。

 

あれ以上のモノは、ハッキリ言って見たことがない。

そのメニューとは、『から揚げ定食』である。

 

何がすごいかって、そのから揚げの、『形状』が凄い。凄すぎる。

丸、なのだ。

丸。

サークル。

 

そしてそのデカさは、比喩とか例えとか、大げさとかそういうんじゃなくて、ソフトボールである。いや冗談ぬきで言ってる。

 

一度、厨房のなかをチラリと見たことがある。

そこで、店主のじいちゃんが何をしていたか、僕はこの目でハッキリと見た。

 

おじいちゃんは…

鶏の胸肉をオニギリみたいにぎゅうっ!ぎゅうっ!と両手で握って丸めていた…

そしておもむろに、巨大な中華鍋の中にゴロン…

 

ゴロン…ゴロン…ゴロン…ゴロン…

 

(えっ?えっ?)

と僕が、『初めてのカレに少しだけ強引に押し倒された時の女子高生』みたいなリアクションをしているうちに出てきた『鳥から揚げ定食』が、これだ。

 

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ソフトボールなのだから当たり前なのだけれど、僕のこぶしより全然デカい。 

 

から揚げ定食には、3個入りと5個入りがある。

「えー3個?オレかなり食うよ?足りないと思うけどなぁ」

とか言って調子乗ってるヤツらを、俺は次々とこの店に連行した。

 

そして、そんなヤツに限って、5個入りを注文するのだ。

 

結果。

ほぼ全ての“自称大食いぼうや達”が、『から揚げをたったの2個』しか食えないのである。

 

半泣きで、透明のビニール袋に、食べきれなかった唐揚げを詰めて帰る。

その姿は、甲子園で敗れ、砂を持ち帰る高校球児にピタリと重なるのであった。

 

名店『みや川』の、あの“モンスターから揚げ”を知ってる人間は、

実際に食べる前に、「余裕でしょ?」と調子こいていればいるヤツほど、連れていきがいがあった。

その数分ののちに、半泣きの高校球児と化す元大食い自慢チェケラ君を見て、なぜだか胸がスカッとするのである。

 

 だって、3個入りでこれですよ…

皿にぜんぜん収まってないじゃない…(僕らはこれをザ・モンスターと呼んだ)

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 そして謎なのだが、モンスターの下には、地味に大量のケチャップスパゲティが…

このケチャップ炭水化物が、実に地味に、そして確実に、僕らを暗黒空間へといざなうのである。

 

更に5個になると、もうこんな…

写真だと、どう撮影しても伝わらないレベルになってしまうのだ。

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僕はこの店で、人生初の『鳥のから揚げたった2個でダウン』という屈辱の経験をした。(ちなみに僕はその辺の大柄よりも食う。ラーメン7杯スープ飲み干し&餃子1人前を食って、5000円を勝ち取ったりしていた程度には食える方なのにもかかわらずの、唐揚げ2個ダウンなのだ)


その後も、3個まではかろうじて食えたりもしたが、4個目に突入する戦意が残っていたことは、ただの一度もなかった。

 

しかし、みや川さんの名誉のために言っておきたいのだが、

このから揚げは、奇跡の旨さであった。

 

まず、この巨大な鶏肉で、しかも胸肉なのにもかかわらず、火の通し方が神がかっていた。胸肉なのに、中心まで均一に柔らかい。これは凄いことである。

 

どんな魔法を使っていたのか知らないが、ここのじいちゃんは、火加減の天才だった。きっと若い頃は、少年チャンピオン漫画の名作『鉄鍋のジャン』とも互角の達人であっただろうと思われる。

 

外側しか衣が無いので、食べ進むと、から揚げを食っているというよりは、『茹で鶏』を食っている感覚である。スイートチリソースが死ぬほど欲しくなる味だった。

 

 

 

そんな名店も、まったなしである。

長野県の誇る、『その後の話題と思い出まで美味しいお店』の灯(ともしび)は、また一つ消えたのだった。

 

でも、長野のデカ盛りの面白さは、まだ終わらない。

信州に、ピンポイントで〇〇を食べに行く!という旅行もまた良いものだと思うので、来年は僕の好きな長野のうまいものをたくさん紹介して、有終の美を飾る予定でございます。おたのしみに。

 

ということで、本日はこれまで。

また偶数の日曜に。ごきげんよう。

 

 

 

うどんが面白い

 

うどんは、面白いのである。

 

 

「え?旨い、じゃなくて、面白いなの?」と思うかもしれないが、

うどんはついに、ウマイということだけにとどまることを知らない、Tomorrow never knowsな麺類になったのである。

 

 

全ての人類の心の中には、『麺類カースト』が存在していると思う。

そして、そのカーストの特徴は、インドのそれとは違って、日々変動するということだ。

 

僕も以前は、うどんなんて、平民だった。

風邪ひいたり熱が出て食欲ないけど何か食べないといけない時に食うイメージもあった。

 

しかし、今の僕の中の麺類カーストは、こうだ!

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うどんが、絶対君主として頂点に君臨している。

 

いち平民だったうどんが、一気にトライアングルの最高峰である司祭にまで、身分を超えまくったのには理由がある。

 

 

香川県との出会いである。

 

衝撃、としか言いようがなかった。蕎麦どころである信州で育った僕は、いかにうどんに関してヨチヨチのベイビーだったかを思い知らされ、うちのめされ、ついでにあまりに旨くて、少し泣いた。

 

香川のうどんに触れることになったきっかけは、弟が、香川大学に入ったからだ。

引っ越しの手伝いで訪れた香川で、最初に行ったのは、たしか店の場所が変わる前の池上製麺所だったと思う。

 

まず、およそ飲食店とは思えない、普通の民家感に、初恋のようにドキドキした。

そして、お金をタッパーに自己申告で放り投げ、お釣りは勝手にタッパーの中から取る、というその大らかすぎる性善説スタイルに緊張で手足が震え、

 

さらに、(小麦の値段が上がる前だったこともあり)一杯100円程度という値段に、猛禽類から逃げ惑うウサギの如く、ガッ!と体ごと心臓を鷲掴みにされ、

 

這う這うの体で、どんぶりを持ったまま店の前の庭に出て、捨ててあるようなテーブルと椅子に座り、うどん狙いの野良犬を横目に「ズルルッ!」と一口食べた瞬間、

 

 

恋に落ちた。

 

 

 

興奮は頂点に達した。

おちんちんの先から白いもの(うどん)が出ちゃうかと思った。

僕にはもう、君しかいないと思った。

世界が滅びる時、君を抱きしめて死のうと思った。

 

 

小麦粉と水と塩だけなんて、嘘だよね?

僕だけには本当のことを言って欲しいんだ。

だって、どう考えたっておかしいだろう?

君は、おいしすぎる。

 

 

それから僕は、なにかと理由をつけ、弟のいる香川に行くようになった。

新たに店を巡るたびに、衝撃を受け続けた。

そして時は流れて、弟が大学を卒業しても、年に1度は香川に行くのを目標にするようになり、実に800軒とも言われる、膨大なうどん屋の数を誇る香川のおよそ1/8、100軒くらいのお店を食べ歩いてまわった。

 

気づけばうどんは身分を超え、カーストの頂点に君臨していたのである。

 

うどんの洗礼を香川で浴びまくって、すっかり“うどん教団”に入信した僕は、その後仕事の都合もあり、福岡に移り住んだ。

 

そして再び、うどん狂いの日々が始まった。なんだあの博多うどん文化は!

このうどんもめちゃくちゃウマイじゃないか。どうやったらこんな透き通るように柔らかいのにもかかわらず、伸びるコシのある不思議な麺になるのか。

 

いりこの産地である香川のダシは未だに愛しているし、目を見つめて顎を軽く持ち上げて「君が一番なのは、揺るがない」とまっすぐに言えるのだが、飛び魚のダシ(アゴ出汁)もまた「君みたいな子は、初めてだよ…」と、うっかり浮気してしまいそうなほどに旨い。

 

そしてなにより、ごぼ天文化である。ゴリゴリ触感のごぼうを斜め切りにしてサクッと揚げて、あの妙齢の艶っぽい和服美人みたいなうどんと一緒に食べようなんて、最初に思いついた奴は一体誰だ!なんてエロいやつだ!許せん!偉い!

 

 

 

しかし、幸せは長くは続かなかった。

僕は北へ向かう夜汽車に乗り(ホントはトヨタの自家用車で)、信州へと帰る時が来るのである。

 

駅のホームに、和服を着た柔肌のあの人(博多うどん)は現れなかった。

 

失意の中、銘菓“博多通りもん”を握りしめた僕は、にわかせんべいのお面で涙を隠して、北路についたのである。

 

 

 

現在も僕は、うどんではなく蕎麦どころである、信州に住んでいる。

振り返れば、いい恋を、してきた。

ふと、かつての白く透き通る柔肌を思い出しては、郷愁の想いでうどんを打ったりしている。

 

 

・・・いや、比喩とかじゃなくて、ホントに打ってる。

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水まわしして、こねて、踏んで、寝かせて、伸ばして

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切ってf:id:otoshita:20160714123230j:plain

香川っぽく、生醤油で食べたりしている。

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なかなか美味しくできるようにはなってきた。

うどんは食すだけでなく、打つのも実に楽しい。

 

楽しい。でも。

 

でも、やはり寂しい。ダッチワイフを抱いているような感じだ。

会いたい。今すぐ会いたい。会って熱い口づけを交わしたい。

「え?そ、そんな口の中まで…ああっ!君が入ってくるぅ!あついよぅ…熱いよぉぉ!!」

と、とろけるような淫夢ばかり見てしまうのだ。

 

 

 

そんな僕に、再び転機が訪れようとしている。

今後、居住の拠点を、半分ほど奈良県に移すことになりそうなのである。

 

奈良と言えば、関西圏である。

そして関西には、大阪といううどん文化の土地がある。

出汁も、いりこ、飛び魚、ときて、今度は昆布。

 

初めての田舎で、昆虫採集をして過ごすスイカ付きの夏休みを目前に控えた、小学生男子のような気持ちだ。

 

すでに大阪では先日、『かすうどん』を食べており、あの美味しさを知ってしまった今、僕は余計にワクワクしている。どこからともなく、教会の鐘の音が聞こえる。ぬるぬるの昆布のドレスに身を包んだ純白の君が、手を振って御堂筋を走ってくる。気がする。

 

 

僕とうどんとの恋物語は、まだまだ始まったばかりである。

 

 

 

 

 

DIYが面白い


DIYは面白いのである。

 

それにしてもDIYという言葉は、定着した。

DO IT YOURSELF の略だということも含めて定着した感がある。

 

江戸弁に訳せば「てめぇでこしらえな」あたりだろうか。

実にいい。なんでも自分でやっちゃうという発想が、実に好きだ。

 

人の力を借りるのも、生きていく上ではとっても大事なことだ。

だが、他人を介在させると、『軋轢』というデメリットはどうしてもつきまとう。

 

(こんな風になるなら人に頼むんじゃなかった・・・)

と、面倒くさい感じになった経験は、誰しもあるのではないだろうか。

 

その点、DIYという発想はキッパリと潔い。

失敗しても、己が悪いってだけだ。すごくシンプル。

目の前の創作物との間には、人間関係など当然ないからである。

 

最悪、うまくいかなくて「うがー!!」となったら、壊すなり、燃やしてしまえばよいのだ。


そこへいくと、相手がモノではなく人間だったとしたら、そうもいかない。

 

(ダメだ。うまくいかなくて腹立ってきた。いいや、アイツ燃やしちゃおう)

とは、あまりならない。

 

「え?オレよくなるけど?」という方は、自分がサイコパスになっちゃっている事に気づいていない可能性があります。


早めに鉄格子のついた病棟への、宿泊予約をすることをおススメします。連泊でお願いします。

 

 

DIYには、否定派もいる。

例えば、「買った方が早い」派。

これは一理ある。買った方が、専門家の努力や、企業努力のおかげで、品質も断然良かったりするからだ。

 

しかし、今回は、合理的な側面からのお話しをしているわけではないのである。

あくまで『DIYが面白い』という話。お・も・し・ろ・い、だ。

 

つまり、メンタルの話であり、遊びなのだ。

そしてその遊びは、大人になるほど、幅も深みも、可能性もグンと広がるから、楽しいわけだ。


人生とは、暇つぶしなのであり、どうせつぶすなら楽しい方がいいのである。

 

日本は目の付け所が細かいので、やろうと思えば大抵のものはDIYできてしまうが、ちなみに僕のよくやるDIYは、『木材系』である。

 

父親が大工なのもあって、僕自身はほぼ知識や技術が無いのにもかかわらず、道具がアレコレあるだけで、いろんなモノがあっという間に作れる。

 

どうでもない平屋建ての民家の内装や外装を、あれこれDIYして自分のカフェも作っちゃったし、こないだは知人の家のキッチンを丸ごと改装してしまった。(床から剥いで、壁のタイルも剥ぐところからやったので、途中さすがにちょっと不安になったが)

 

大変だったし、そもそも僕は両膝がチタン等の金属でできている。ワンピースのフランキーと違うのは、金属でできているのにもかかわらず、体が弱いということだが、そんな僕でも、やればできちゃうもんである。


大変だったが、完成した作品(?)を眺めれば、心は高原の青空のように晴れる。

 

こんなことを書くと、性格が細かくて、コツコツやるタイプだと思われたりもするかもしれないが、僕のDIYはいたって雑である。

 

大工の父親からは「俺にはこういう仕事はできねぇ…」と毎回言われるほどにテキトーな作品をバンバン作る。


設計図とか、ほとんど書かない。フィーリングでいきなり木を切り刻んでゆくスタイルである。だって、失敗したらデストロイしちゃえばいいのだ。実に気が楽だ。

 

 

 

木工系DIYで、これだけは必須だなという、電気を使う道具がある。

インパクトドライバと、電動丸ノコ、この二つである。

インパクトドライバは、ビスどめをしたり、ドライバーの部分をドリルに付け替えて穴を空けたりする道具。丸ノコはその名のとおり、丸い刃が回転するノコギリ)

 

この二つがあるだけで、作業スピードが全然違う。天と地ほどに違う。

そして、意外に、大人なら手に入る値段なのである。ホームセンターに行けば分かる。

選ばれし民のための道具ではないのだ。

 

例えば、本棚というものは、既製品に満足できないことが多いと思う。

本の高さにぴったりくるように、棚がそろっていると、実に見ていて気持ちがいいが、既製品だとそうもいかない。

 

また、(ここのスペースに本棚を置きたい!)と思っても、デカくて入らなかったり、スカスカだったりする。


ただでさえ狭い島国ジャパンの、狭い住居に僕らは住んでいるわけなのだから、そこにデッドスペースが発生するのは実にもったいない。

 

そこで、インパクトドライバと、電動丸ノコである。それがあれば、自分の望む大きさや形の本棚なんて、ホントに一瞬でできてしまうのである。

 

手動ノコギリなんて、もう二度と使えなくなること請け合いだ。世界が違う。

丸ノコは早いし、正確に切れる。

ホームセンターで買ってきた木をバンバン切って、インパクトドライバで、チュインチュインとビスどめしていけば、本棚なんてあっという間だ。

 

(カフェ内には本棚をいっぱい作った)

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もしコンパネとか、大きめの木材、または太めの木材を使う場合は、ホームセンターで数十円で切ってくれるサービスをしている所があるから、切ってもらっちゃうと、持ち帰る時も含め更に楽だ。

 

 

 

DIYは、凝るとイヤになるのだ。というのが持論である。(というか僕が単にせっかちだから、細かいことよりも、完成させる事に重きを置いているだけだけれど)

 

だから、

本棚の色を塗るのが面倒なら、塗らなくてもいいような、ナチュラルな素材の好きな色の木材を選んでくればいい。別に濡れるような屋外に置くわけもないだろうから、ニスなんて別に塗らなくてもいい。最後に軽くペーパーやすりでもかければ終了である。

 

 

ただ、塗る系のDIYも、なかなか悪くない。

最後に、先日、カフェの屋根を自分で塗ってみた話をして終わりにする。

 

屋根塗りなんて、業者に頼めば、範囲にもよるが10万くらいは普通にかかる。

その点、自分でやると当たり前だけど断然安い。全部で2万5千円くらいだった。

 

うちの地域は豪雪地帯なので、瓦屋根などない。トタン屋根だから、それ用のペンキをAmazonで買う。アサヒペンの1万2千円くらいだ。これを2つ買い、(かなり余ったので他にもいろいろ使っている)あとは塗るためのローラーと、屋根を洗うためのホースとデッキブラシを買っただけだ。

Amazon | アサヒペン ペンキ 水性屋根用遮熱塗料 アイリッシュグリーン 10L | 塗料缶・ペンキ

 

初日にうっかり炎天下の中で作業したら、熱くて倒れそうになった。

しかし、『ショーシャンクの空に』という映画の中で、アンディ・デュフレーンが鬼看守に法律のアドバイスをする代わりに「皆にビールを」と言っていたあの屋上の風景と、なんだかシンクロがちょっとあって、楽しかった。

 

ただ、下戸の僕が屋根でビールを飲んだら、多分落ちて死ぬのでやめておいた。

 

その後、数日に分けて、日差しのない曇りの日にちょっとずつ塗った。

塗っていくうちに、慣れも出てきて、作業自体が楽しくなってくる。

さらに、モノを大切にしている感じというか、古びたものが、また息を吹き返すその感じも実に楽しい。

 

塗り終わった屋根を、地上に降りて眺める。

その満足感たるや、なかなかのものである。

 

つまり、クリエイティブなものの創造、とかそんな大げさな人じゃなくても、DIYは『画用紙に描くより実用的なぬり絵』くらいライトに、そして十分に楽しめるのだ。

 

楽しみ方は人それぞれなので、自分なりに微調整しながら楽しんでほしい。

「ビールをやりながらDIYするのって最高だよね!こないだドリルで手に穴開けちゃったけどね!アハハ!」

とか

「嫁と一緒にDIYしたら、久しぶりに力を合わせているって感じがして、なんだか付き合い始めた頃みたいで楽しかったんだ。その夜は久しぶりに燃えたよ」

 

とか、そういう力がDIYにはあるはずだ。・・・と思う。

 

 

ということで、そろそろ終わりたいけれど、まとめ方が分からなくなってきたので、

「みなさんも、たまにはDIYなんていかがでしょうか」

という、最高にどうしようもないまとめ方で今日はおしまい。

 

それではまた偶数の日曜に。 ごきげんよう。

 

 

 

 

女は面白い

 

我ながらすげえタイトルであるが、女は面白いのである。

 

それは僕が、男だからということもあるだろう。

『対』(つい)なんていう表現があるが、つまり同じ人間という種族なのに、『対して』いるわけだ。

 

ぜんぜんちがう。

男と女は、ぜんぜんちがう。だから面白い。

 

男同士だってぜんぜん違うのに、それに輪をかけてちがう。

元来、『違い』というのは、面白いものなのかもしれない。

 

だって、世の中から女がいなくて、男だらけだったら、と想像してほしい。

 

僕は死ぬかもしれない。

LGBTの方々でさえ、おそらく比較対象や仮想敵、または同性友人を失うことになるわけだから、きっと面白くないはずである。

 

違いを単純に、大きく二つに分けると、見た目と、中身だろう。

みなさん、ご存じだろうか。実は女は、胸が膨らんだりしているのだ。

 

しかも、だいたいが柔らかい。なんだあれは。

柔らかい理由はなんなんだ。赤ちゃんが吸うため?彼氏が揉むため?

 

・・揉むため、ってなんだ!?もむ?momu?

揉んで、なんになるんだ。分からん。分からないのに、柔らかい女の胸を揉んだ男は逆に、下半身が固くなったりする。

 

どういうこと?やわらか→揉む→固くなる、っていう一連の流れは一体なんなんだ。

なんの催眠術なんだ。

 

発する声だって高めだ。

でも、声が高いとか、目鼻立ちがいいとか、一見してよさそうなものを持っていれば、イコール女として優れてるかっていえば、それは全然別なのも面白い。

 

声の低い北斗晶にも、佐々木健介はちゃんと欲情するから、子どもがいるのだ。

 

男と女の関係は、複雑に入り組んでいる。

個々の性格は当然として、その他の条件もたーーーーっぷり組み込まれている。

性格だって、文化によって変わるし、時代、年代、環境によって常に左右されていくものだ。

 

僕はその年代ではないので見たことなかったが、昨年ふいに

私をスキーに連れてって』という映画を観た。

 

たぶんコメディじゃないはずなのだが、僕は終始笑いを噛みしめすぎて、涙を流した。

バブルの頃の女たち、最高に面白いと思った。

 

2016年の今、セリカというマニュアル車のドアを開け、地面の雪をつかみ、運転席と助手席の女が顔を見合わせて

「凍ってるね」(上等だよね、みたいな、いきがってるニュアンス100%で)

「凍ってるね」(同じく)

と、言い合ったあと、雪道をあんなイカれた速度で走ったり、ブルースウィリスみたいにぶっ飛んだり(まじで飛ぶ)してるあの映像を見るのは、面白すぎる。

 

2016年の今、最高に食べごろである。

また、雪国の人にとっては矛盾が多すぎるので、更に5割増くらいで楽しめるはずだ。(笑いすぎて出た)涙拭く木綿のハンカチーフでも用意して観てほしい。

 

あのバブルの時代に形成された性格の女たちは、現在も日本に生息しているはずである。すごく興味深いからお目にかかりたいが、おそらく変化してしまっているであろう。

 

たった20年くらいで、時代というやつは、女の性格を左右させる。

日本国内でもこのありさまなのだから、世界に目を向けたり、再び時代も流れるわけだから、一生かかっても味わいつくせないほど、男にとって女は興味深い存在であり続けるだろう。

 

 

人が人生で望むものは、案外遠くにはないものだと思っている。

だいたい、その辺に転がってたり、しまい込んで南京錠かけたまま忘れてたり、日常すぎて逆に隠れ蓑になっているせいで、気づかなかったりすることばかりだ。

 

あなたのそばに、転がってる女はいませんか?

うっかり南京錠のカギを忘れたまま監禁してる女はいませんか?

深くて怖かったり、歩み寄りが面倒で、女を避けてはいませんか?

 

もし完全に興味を失ってなければ、もう一度、または新たに女と向き合ってみるのも楽しいかもしれません。材料は、男と同じ数、いやそれ以上にゴロゴロいるはずですから。

 

僕の持論だけれど、衣食住が足りた後の、人の悩みのほとんどは、寂しいという感情に端を発していると思う。

 

『仲良くなる前提の姿勢』で、女と向き合ってアレコレと話を詰める作業ができたら、

いつの間にか、寂しくなくなっている、と気づいたりすることもある。

 

その後、耳掃除でもしてもらったら、きっと向き合ってよかったと思えるはずだ。

耳掃除の後はお返しに、首や肩、足なんかをマッサージしてあげたりすると、相手の満足感も伝わってくるから、より精神が充実すること間違いなしだ。

 

やりがい、は、仕事だけじゃない。

遠回りすることでしか、気づけないことが、いっぱいあるから、とにかく上を上を目指すのも大切な思考。

 

でも、あまりにも長い遠回りをして、到達点が近くにいる女なんだと分かったとしたら?残された時間の少なさに悔しい思いをするかもしれない。

 

「そばに女なんて一切いないんですけど」

という人もいるかもしれない。でも安心してほしい。女は強いところがあるので、風俗という商売で飯を食う人たちが存在する。僕は北方謙三ではないが、

 

ソープへ行け!である。

 

そして、目の前の女を、その時だけ好きになる訓練から始めるのがいい。

部屋から出たら、スーンとしててもいい。

でも部屋の中では、しっかり目を見て、好きになってみよう。抱きしめて、こっそり(愛おしい)と思ってみよう。そう思い込む癖をつけると、どんな女の人を見ても、よい所が先に見えて、好意を持てるようになってくるはずだ。

 

人に好意を持つと、その相手から嫌われることは極めてすくなくなる。

もし嫌われるなら、そこには『勘違い』という成分が含まれているはずだ。

そこも含めて、懐の深いソープのお姉さん達で練習させてもらうといい。なんなら、事情を真剣に話してみるのもアリかもしれない。

 

「女の人と向き合いたいんです。でも僕は、やり方が分からなくなってしまったので、今だけ好きになる練習をしたくて来ました。お姉さんはそういうの得意ですか?もし得意なら、教えてください。重いやつじゃなくて、人にあいさつする時とかに、笑顔や声に乗せて、相手に好意を届けられるような人に、まずはなりたくて」

 

とか何とか、本音を言ってみて、受け止めてお話ししてくれる方がいれば、儲けものだ。ベッドの上まで含めて実習ができる場所は、あまりないから、たくさん吸収しよう。きっとその後の人生に影響がでるはずだ。(逆に女はソープ行くわけにいかないから、どう学んだらいいんだろう。分からないから先送りしよう)

 

 

さて、偉そうなことをつらつらと書いてきてしまったけれど、

最後に、重大な告白をしないといけない。

 

僕は、ソープに一度も行ったことがない。

それどころか、あらゆる風俗に行ったことすら一切ない。

 

つまり、さっきまでの話は、せっかく一生懸命考えてることなのに、机上の空論の域を出ないのが悔しい。こんなことならソープに行っておくんだったぜハニーバニー。

 

ということで、もう何だかよくわからなくなってきちゃったので、終わろうと思う。

女は面白い、なんてデカいくくりで書き始めちゃったから、しょうがないか。

 

『ブラ(ジャー)が面白い』とかにすれば良かったのかもしれない。

トリンプがブラ(下着)メーカーだと知らずに、毎日職場に持っていくお弁当を、トリンプの紙袋に入れて行ってた話とかすれば良かったのかもしれない。

 

しばらくして、女の先輩に「ねぇ。それさ、どういう意味?」って聞かれたなぁ(遠い目)、真顔で。

 

 

それではまた、偶数の日曜に。ごきげんよう。

 

 

誰かに会いにいく旅が面白い

 

旅は面白いのである。

 

散歩ですら旅だと思えば、人生は冒険ばかりのワクワクしたものになる。

つまり、どんな旅でも、楽しくなる可能性を秘めているってことだと思う。

 

一人旅も最高だ。

誰にも気を遣わずに移動して、知らない場所に自分を置いているだけで楽しくてたまらない時があると思う。日常は決して楽しいことばかりではないから、日常と間合いがとれるだけでも、脳みそにとっては何よりのごちそうだ。

 

そして、最近新たに発見したのが、誰かに会いに行く旅の面白さ。

これは楽しい。

もちろん、目的となる会いたい人がいてはじめて成り立つので、会いたい人がいないとどうしようもないのだけど、

 

土地や文化や景色やご飯よりも、人間に会う旅の方が、こう、、

 

生々しさがある。

 

ドキドキ(までいかなくとも)に似た、緊張感にも似た何かがある。

初めての人に会いに行く場合は、多少がっかりすることもあるけれど、がっかりだって、収穫だ。がっかりした話として、ちゃんと昇華される運命にある。

 

そして、がっかりしなかった場合。

すごく楽しい一日になった時。

会いに行く人だけでなく、その土地そのものに好感を抱いている自分に気づくのである。

 

そうなってしまうと、もう無敵だ。楽しさしかない。

マリオがスターを取ってピカピカしてる間にそっくりな感じになる。

 

うひょぉぉぉ!!ハーーッハハハハー!

 

・・・そこまで興奮するかどうかは分からないが、移動すら楽しくなること請け合いだ。

 

空想やイメージでの、心の旅もそうとう楽しいけれど、

肉体の旅も織り交ぜてみると、きっとまた違う楽しさの体感が得られるはず。

 

ああ。

書いていたら、どこかに行きたくなってきた。

ちょっとすぐに誰かに会いにいくイメージが湧かないので、ここは強引に、食べ物を擬人化して、うどんさんに会いに香川にでも行きたい気分だ。

 

でも香川は遠くて、すぐには叶わない願いなので、いつ行っても表情が一切変わらないあのお姉さんに会いに、近所の定食屋にでも行くとしよう。

 

立派な旅と言えなくもないだろう。

 

 

ゆれる心が面白い

 

 

唐突に抽象的なことを言うようだけれど、

ゆれる心は面白いのである。

 

僕の大好きな漫画「からくりサーカス」で、ある人物がこんなことを言う。

 

「オートマータはめったに笑わないんだよ。フランシーヌ人形を笑わせるために、おどけてばかりいるのにね。自分にゆれる心が無いのに、フランシーヌを「ゆらす」ことができると信じて、二百年も同じことを繰り返している」

 

詳細は、是非ともからくりサーカス全43巻を見ていただきたいのだけれど(うちのカフェにも全巻置いてます)、

 

つまり人は、心がゆれるからこそ、人なのかもしれない。ということだ。

逆に言えば、ゆれない人などもう、人ではないのだろう。

 

ある地上波ラジオで、もう半世紀近く人生相談を受けている方が、

先日こんなことを言っていた。

 

「いつの時代も、人の悩みは変わっていないんですよ」

 

いつの時代だって、人は変わらず、ゆれ続ける。

その中には、「ブレる」や、「迷う」、「間違える」も、おそらく入っている。

 

だから、心が揺れたり、ブレたり、迷ったり、間違えに気づいた人は、

そのことに落ち込んだり、劣等感を抱く必要なんか、きっとない。

 

自信をもって、まではいかなくとも、そんなダメに感じる自分も含めて、

寛容になってみたらどうだろう。きっと、そこから先の世界が見えてくることもあると思う。(自分に言い聞かせてる気がすごくしてきたが)

 

だって、ゆれる心があるからこそ、人の心を揺らすことができるはずだから。

 

人の美しさ(というと大げさかもだけれど)みたいなものも、きっと揺れたその先にあるんだと思う。(例えば個人的にはだけれど、ひたすら若く明るく明朗で饒舌な女性よりも、それなりに挫折を味わって悲しみの引き出しをたくさん所有してるせいで涙もろくなった人の方が、女性としての魅力に数万倍包まれていると感じるし)

 

 

 

 

最後に、からくりサーカスのオートマータで、最後に仲間(?)になって、ハーレクインという敵のオートマータと戦ってる時の、パンタローネの言葉で締めくくろうと思う。

 

ハーレクイン「なんでぇ?オレっち何か、おもしろいコト、言ったかい?」

 

パンタローネ「くっくっくっ…我ら「最古の四人」は、いつもフランシーヌ様を笑わせて差し上げようとしてきた…滑稽な仕草や韻律、楽しい言葉を研究したりしてな。だが…フランシーヌ様は少しもお笑いになられなかった…今、わかったよ。それは…」

 

 

「私が一度も本当に笑ったことがなかったからだ……」

 

 

 

 

 

男根崇拝が面白い

 

 

男根崇拝は面白いのである。

 

とりあえず、僕が実際に触れたことのみ書こうと思う。

それも、僕が住む信州限定で。

長野県のことを何故か今でも信州と言いがちなのはなぜなのかというあたりは置いておいて、ぜひ信州にお越しの際は、実際に訪れてみて欲しい。

 

今回紹介するのは二つ。

早速の一つ目は、

県庁所在地である長野市からちょっと南下したところにある、千曲市へ。

 

戸倉上山田温泉、という温泉地がある。

そこの裏山の高台に水子供養の神社…のとなりに看板が出ている。

 

『男女和合の神 澳津神社』

 

せまーいコンクリートの坂を上ると、畳一畳ほどしかないスペースが。

そしてそのスペースが、男女和合の神の全てである!

 

男性器が右側。女性器が左。

つるつるしている・・・色はグレーだ。 

 そう!石の男根!木製ではない。そして、女性器があるのがポイントであり、

この神社の一番愛すべきところも、この女性器にある!

 

というか、この女性器の横、にある。

横?そう、横。

 

女性器の横には看板があり、そこにはこう書いてあるので、ぜひニヤニヤしていただきたい。

 

 

「水をかけないでください」

 

 

女性器をかたどった石に、水をかけるアホウがたくさんいたという証明である。これはおかしい。マンコをびちょびちょに濡らして加藤鷹の指をしながらカメラに笑顔を向ける20代前半のアホ男の姿あたりが、容易に想像がつく。

 

そんなアホ達に向けて、丁寧な文で静かに呼び掛けている看板のおかしみったらない。

是非訪れていただきたいスポットである。

 

ちなみに、その山の反対側の山を、よーく観察してほしい。

巨大な天狗が見えるはずだ。言うのは簡単だが、なにしろ天狗、である。天狗。テング。tengu。

しかも意味が分からないほど、でかい。

 

その上、桜の木に囲まれており、桜の季節には美しいピンク色の中に、巨大な天狗様がそびえ立つという謎の光景を拝むことができる。ハッキリ言って、どんな気持ちで花見をすればいいのかサッパリ分からない。

 

トドメとして、その天狗様と桜の場所の名前を「キティパーク」という。

もうどんな気持ちで受け止めたらいいのか全然分からないので、次にいく。

 

 

二つ目、今回の男根崇拝の最後を飾るのは、信州北西端の村。小谷村。

そこに、いわゆる奇祭、がある。

 

どのくらい奇祭かは、みなさんで判断してほしいのだけれど、

名前を、『ささらすり』とも言う。(正式には千国諏訪神社例祭)

 

とりあえずザッと大筋を説明すると、

『ささら』と呼ばれる男たちがいる。

 

ひょっとこのお面をかぶり、頭は手ぬぐい。またはその上に麦わら。

服装は、はっぴのような、半裸のような、とにかくだらしない着物。

足には草履だったり藁の長靴だったり、便所のスリッパを履いてるやつもいる。

 

ここまででも十分変だが、ここからがキモ。

 

この祭りは、

背中に巨大な男根を背負い、左手には真っ赤な、ながーい男根を持ち、

右手に持つもうひとつの棒で、男根をガリガリと擦りながら、(自慰行為の意味で)

 

全力で走って、逃げ惑う若い女性たちのお尻に、真っ赤にそそり立った男根を「ドスッ!」と当てる祭りである。

 

異様である。すげぇ祭りである。

 

しかし、ささらに扮する男たちも、普段は普通の青年なわけで。

いくらひょっとこのお面をして顔が見えないからと言って、うら若き乙女たちの尻に、変態的な恰好をして男根をドスドス当てるには勇気がいる。

 

そこでどうするか。実際にささらに扮したことのある知り合いに聞いてみた。

「しらふであんなこと、とてもじゃないけどできないだろう?だから、祭りが始まる前に、日本酒一升くらい飲まされんだよアレは。もうベロンベロン」

 ぶはははははっ!なんだこの祭りは!

 

おもしろいじゃないか・・・

ちなみにこの地域の子供たちは、そんな異様な『ささら』達に例外なく恐怖を覚える。

だいたい号泣する。

 

なので、悪いことをすると、「そんなことしてると、ささら呼ぶよっ!」

と親に脅されたりする。実際に目で見て、体で恐怖を体験してる分、架空の鬼なんかよりも断然コワいので、テキメンに効く。効きすぎて号泣して、手に負えなくなったりもする。

 

 

そんな素晴らしいささら祭りだが、人口3000人程度の村な上に、

昨今の少子化により、絶滅の危機と言ってもいいと思う。

 

小さい集落の、いかにも『地元のお祭り』といった風情だが、たくさんの人に知ってほしいので記事にしてみました。

 

JR千国駅という無人駅からも、歩いていける場所にある神社で毎年9月の中頃に開催されているので、興味のある女性は、ぜひ男根をお尻に当てられに来て欲しい。

 

真っ赤なたくさんの男根が、あなた様のお越しをお待ちしております。

 

 

 

 

 

それではまた偶数の日曜日に。ごきげんよう。

 

 

 

 

 

元・新隊員も面白い

 

 

新隊員が面白い、という記事を前回書いたけれど、

実は、元・新隊員も面白いのである。

 

新隊員が、前期3カ月の教育期間を終えると、各地の部隊へ送られる。

どのように送られるかというと…

 

ドナドナです。

いや、ほんとに。ドナドナです。

 

荷馬車にゴトゴト揺られていくんです。

みなさん、高速道路とかで、自衛隊のトラックを見たことがありますか?

 

あれ、うしろがパッカーン!ってあいてるでしょう?

ご存じない?左右にずらーっと迷彩服が並んで座ってるのが見えるアレですってば奥さん!

 

シートベルト?そんなもんあるわけないじゃないですか。

自分の身は自分で守れですよ自衛官はいつだってね!アッハッハ!

(え?もし衝突とかしたら?知らない。踏ん張れってことじゃない?ウフフ)

 

あの荷台です。

マジであれにゴトゴト揺られて。

ある晴れた昼下がりに。

 

可愛い子牛というか、可愛くない迷彩服の坊主頭が、全国各地に売られ・・じゃなかった、送られていくわけです。

 

前期教育が厳しければ厳しいほど、その荷台に乗る直前に、ドラマがあります。

そう、3カ月にわたり、僕らを叱り続けてきた鬼の班長たち。

彼らが、別れのその最後の瞬間、人になるのです。

 

実は鬼ではないのです。とてもいい人たちなんです。

僕らを教育して、叱りに叱り続ける任務なんです。

人間同士が、全力でぶつかる日々を3カ月も続けてたら、情がわきます。

 

あんなに怖かった班長が、最後の挨拶をします。

その時、班長が鬼から人に戻るんです。あれはずるい。

鬼が目を真っ赤にして、涙こらえてる。

 

決壊。涙腺決壊。

坊主頭たちは、どの班も、班長との別れでゲロ吐きそうなくらい泣きます。

 

だって、分かっちゃうもの。

班長たち、本当は優しいって。

 

だから、ドナドナの歌の雰囲気はぴったり。

悲しくてたまらない。頑張ったから、涙が出るんです。

 

 

でも、頑張らないやつは、涙なんて出ません。

前回も書きましたが、どうもクズには教育とか関係ないようでした。治らないあれは。不治の病ってあるのね。

 

根本の人間性がどうかしてる奴が、半年の厳しい教育期間が無事に終わったとてね!

人として正常になるわけがなかったぜマイト!

 

 

新隊員につきものの事件といえば、脱柵。

そう、夜中とかにこっそり、駐屯地の柵を飛び越えて、逃げちゃう。ツライから。

 

でも、僕の同期は、どうかしてるのが多かったのかなんなのか、

教育期間とかとっくに終えて、一人前の自衛官になったはずなのに、カジュアルに脱柵して夜中にTSUTAYAとか行っちゃう大馬鹿とかもいたりいなかったり。(もちろんバレるので処分されます)

 

外出届を出して、そのまま帰ってこない奴も、自衛隊ではあるあるです。

でも、そこは自衛隊の威信にかけて、探されます。

 

見つかるまで、探します。

 

サラッと書きましたが、大事なのでもう一度。

見・つ・か・る・ま・で、探すんです。どれだけ時間かかろうが。

これはですね、すごいですよ。逃げきることはほぼ不可能です。

 

ちなみにこれまた僕の愉快な同期、仮名『岡ちゃん』としましょう。

岡ちゃんの見た目は、「刑務所の中」という漫画の主人公にそっくり。

(知らない人は検索してみてください。そっくりっていうか、同じ顔)

 

とにかく、新隊員のころから、ダメな子っぷりエレクトリカルパレード

 

その岡ちゃん。部隊に正式配属されて、だーいぶ経ったある日。

外出したまま、帰ってきませんでした。

 

「逃げ切れるわけない事ぐらい知ってるだろうに…ホントに阿呆なのかあいつは…?」

と同期たちが噂します。

 

2週間が経ちました。

「まだ見つからないって?2週間かあ・・相当遠くまで行ったかなこりゃ」

と、またまた同期たちが話していた、次の日。

 

駐屯地から徒歩5分のマクドナルドで、岡ちゃん捕獲される。

 

朝マックの時間に、店内に入ろうとしてたのを、上官に後ろから首根っこつかまれて。

「よーお!岡じゃねぇか!久しぶりだなぁ!元気か?んん?」って。

 

同期一同「ぶはははははぁああっ!なんなんだアイツはー!逃げる気あんのか!あーははははは!!!!」

 

(もちろん、そういうのは許されませんので、それ相応の処分をされます。良い子は真似しないでねフフ)

 

 

見つけて欲しかったんでしょうか。あれは。いまだ謎です。岡ちゃん。

あ、諜報部隊に目をつけられると嫌なので、言っておきますが、そんなことが、あったりなかったりです。なんなら、全部僕の妄想ってことで!ハッハッハ!

 

 

では最後に、このブログはもてらじ村という集団に参加させていただいていますが、その主である、ぶたおさんから、ホモの話のリクエストをいただきましたので、その辺をチラッと話して、今回は終わるとします。

 

ホモ。

ゲイとか、同性愛者とかいう言葉は、自衛隊には似合わない気がします。

ホモ、がバチッとくる。「テトリス棒入ったーー!」くらいバチッときます。

 

 

新隊員のころ、班長に聞きました。ホモっていますか?と。

すると、「いると思うか?」と聞き返されたので、

「いると思います」と答えました。

 

班長「俺は10年以上自衛隊に所属しているが、正直、1人も知らん。噂でも聞いたことないぞ」

(そうなのかぁ・・・ふぅん。)

 

そうです。自衛隊にホモなんていないんです。

 

 

 

 

 

 

が!!!!

僕が退職する直前のこと。

 

これまた僕の同期の、島村(仮名)の情報が飛び込んきました。

 

島村のスペックを一応。

おとなしい性格。むっちり体系。色白。眉毛太い。モテない。異性愛者。

 

ここからはボヤかします。

ヒントだけ。

 

1.島村

2.シャワー室の共同脱衣所

3.上官がドアを開ける

4.後輩のガチホモ

 

 

 

・・・以上です!!キャップ!!!!!!

 

 

 

 

 

それでは、また偶数の日曜日に。ごきげんよう。

 

 

 

 

 

 

新隊員が面白い

 

自衛隊は、面白いのである。

過去に在籍していた僕が言うんだから、間違いないと思ってほしい。

 

とりあえず憲法9条だとか、シビリアンコントロールだとか、勲なき軍隊だとか、

その他もろもろのややこしい話はさておく。

なぜなら、さておかないと、コワいからである。

 

あの組織の、徹底っぷりったらない。

 

まず、在籍していた僕ですら、謎すぎるほどのベールに包まれている

諜報部隊が、日々ネットやら電話回線やら電波やらを見回っておるので

下手なことは書けないし、言えないのだ。

 

特に、武器庫の場所とか、軍にとって不利益になることなんて

もってのほか。ちゃんと除隊する際には

 

(貴様分かってるだろうな?ん?下手なことしおったら、タダで済むはずがない事くらいは!まあ辞めるとはいえ何年もこの中で過ごした男にわからぬはずもないがな。念には念を入れさせてもらうぞさあ書け!さあ!よく読んでサインをするのだ!さあ!さあさあさあ!)

 

みたいな誓約書だって書かされる。

ていうかそんな機密情報ペラペラ喋っちゃう阿呆が本当にいるのか?

 

・・・いるだろうね!ハッハッハ!

 

そのあたりの動物園っぷりは、また後で書くとして、

まずそもそも、自衛隊に入隊する時点で、徹底して新隊員の過去やその他を

隅から隅まで調べ上げられる。(上官から聞いた話ね)

 

つまり、入隊できた時点で、怪しい活動家じゃないか、

軍にとって不利益な人物じゃないか、など、最低限のふるいにかけられ、

安全な人間だと判断されたと思って間違いないということらしい。

 

そして無事に入隊できた時点からも、1分単位で徹底が続いていくことになるのだが・・・

 

【新隊員という人生のボーナスステージ(?)が襲い掛かる!】

 

そうなのだ。何といっても、入ったばかりのヒヨッコたち。新隊員。

この時期には面白さがぎっしり詰まっている。詰まりまくっている。

業務スーパーのリッチショコラケーキくらい、みっちりとだ。

 

とりあえずバリカンである。

元銀行員も、大学院出も、元ビジュアル系バンドマンも、元歌舞伎町ホストクラブオーナーも、元いじめられっこも、単なるミリタリーマニアも、(ちなみに全部実際に僕の在籍してた教育隊にいたが)

 

過去なんかまったく関係なく、18歳から26歳までの男たちが次々とボーズにさせられ、長ーーーい廊下にパンツ一丁で背筋を伸ばして座る。

 

圧巻である。

誰が誰だかサッパリ分からない。

 

(あ、あのイケメン、ボーズになったら頭の形悪っ!どうしよう、急に友達になれるような気がしてきたぜ…)

 

みたいな気分になること受け合いだ。

ていうか、こんな調子で時系列順に話していったら、飛鳥涼の例のブログより長くなっちゃうのでガンガン割愛していくと、

 

とにかく前の日まで、ぶっちぎりで知らない奴ら9人が(教育隊のデカさ等によって違うが)、同じ班員となり、急に運命共同体になる面白さといったら、すごい。

 

9人もいれば当然、できるやつも、できないやつもいる。

だがしかし!そこが新隊員教育隊である以上、逃れられない宿命がある。そう、

 

『連・帯・責・任』の4文字である。

 

自分がミスしなくたって、関係ない。

班員の誰かがミスしたら、基本的に床にヨダレ、もしくは涙、または得体のしれない体液が垂れるまで腕立て伏せをさせられる毎日が待っている。

 

デキる奴も差別なく、キッチリ怒られる運命にある。

「おい!おい佐藤っ!!お前体力それだけ優秀なのに何で笠原の銃を持って走ってやらねえんだよっ!見ろよっ!笠原はもう銃の保持できてねえじゃねえかっ!てンめぇぇぇ!!!自分だけ良ければそれでいいのかお前はああああああああああっ!!!!」

 

とにかく、ここは世界がまるっきり違うことを、叩き込まれる。

僕が入って数日目で衝撃を受けた、鬼の班長(班長たちは、曹という位の若手)の言葉は、

「バカヤロー!!!ここはシャバじゃねーんだぞっっ!!!!!」

 

そう、確かに僕らは、塀の中にはいた。

あの困難極まる休日の外出の難易度。あれは仮出所の手続きだと捉えれば、なるほど合点がいった。

 

本当に、新隊員の外出は難しい。なんなんだあれは。

班全員の服装やらヒゲ。アイロンや靴磨き等のやることは終わっているか。

様々なややこしい提出物を受理されて、ようやくなのだ。誰か下手なミスでもしようもんなら、その週の外出は諦めるほかない。もちろん班の9人全員。

 

泣く泣く、通称PX(ピーエックス)と呼ばれる、駐屯地内に必ずある売店にみんなで行って、果汁グミでも買ってくるしかない。

 

ていうか、果汁グミを買いに行くのだって、どれほどの困難か知れない。

9人の班行動はもちろん、列をなすのだ。全員で掛け声を出しつつ腕を振って歩いて、曲がる時や止まる時はそれぞれの号令をかけないと誰も止まれないし、曲がれない。

 

新隊員より下の位はないわけだから、誰かとすれ違うたびに全員で立ち止まって

「お疲れ様です!」と声を張り上げて敬礼をビシッ!ビシッ!としないといけない。

 

だから、この記事を見ている皆さんに言いたい。

果汁グミをスッと買いにいけることは、幸せなことなんですと。

 

日々の生活の中、ほんのちょっとでもズルをすれば、どういうわけか鬼の班長にバレる仕組みになっている。実に不思議だった。なんならあの新隊員の生活以来、ズルをすると怖い!という刷り込みが入ってしまって、あまりズルできなくなった気もする。

 

ズルは当然、腕立て伏せである。

レベルによっては、そんじょそこらの腕立て伏せじゃ済まない。

 

もうね、新隊員を数か月もやってればね、どんないじめられっこだってね、腕立て伏せのアゴ付け(床にアゴをつける自衛隊スタンダードの腕立て。反動を使ったり体を反らしたり丸めたりしてはいけない。手の位置や足の位置も決まっている)が、50回くらいはふつうにできるようになっちゃうよね!

 

すべては団体行動を、頭ではなく体に叩き込むため。

連帯責任のパワーは、すごいんですって。ほんとに。

 

だってね、例えば自分が腕立て伏せ限界だとしますよね?

床にへばりますよね?

そしたらですよ。鬼の班長が、腕パンパンで涙と鼻水ズルズルな僕を立たせるんですよ?

 

「はい。宮下二士(二士は新隊員の階級。自衛隊で最も下っ端)は限界だそうです。なのでお前らは代わりに20回ずつ追加な。宮下はそこでみんなを見ろ。お前ができないっていうから、お前の分を、みんながやってるんだ。見ろ!見ろおおっ!」

 

班員のみんなも、泣いてるんですよ?

そんなツラいことあります?普通の神経だったら、みんなに申し訳なくて、自分がふがいなくて、どうにかなっちゃうでしょう?もっと頑張ろう!俺!みんなに迷惑かけないように頑張ろう!って思うでしょう?

 

仲間意識、高まりますよねー。イヤでも。

実際に体験したらわかりますよ、新隊員はすごいんだから。

腕立て伏せからめた話だけで、こんなですよ?氷山の一角ですもの・・・こんなエピソードなんて。

 

『可愛い子には旅をさせよ』なんて言いますが、僕のおススメは、

『可愛い子には新隊員させよ』です。

 

「ああ、大丈夫です。僕ふつうに外で寝れますから。あ、でもできたらブルーシート一枚あれば最高です」

って言えちゃう、たくましい男になったりします。

 

もちろん、ならないやつもいます。

ていうか、ちゃんとクズもいます。

 

クズはたいてい、『脱柵』します。

だっさく、です。

 

ということで、長くなっちゃいましたが、新隊員の話はキリがないので、

今日はこの辺にしておきます。面白いこと、まだまだあったんですけどね。

 

もし反響があれば、『脱柵』する奴らは面白い

みたいな話なんかを書くかもしれませんが。

 

自衛隊とホモ、の話とかもいいかもしれませんね。

それでは隔週の日曜日にお届けしました。ごきげんよう

 

 

冬眠から目覚めると

 

 

2016年、春。

 

このブログは冬の眠りから目を覚まします。

 

そもそも誰も、眠ったことさえ知らないほどの知名度であることは置いとくとして、雪が溶けたと同時に、ポンポンと地表から顔を出しまくるふきのとうの如く、

 

このブログも目覚めるったら目覚めるんである。

 

そして、もてらじ村民ブログとして2年目の2016年は

『アレが面白い』

をテーマにして書いてゆきます。

 

そう、冬眠するたび、テーマが変わっていくのが、このブログの正体。

 

ふはは、知らなかったであろう!

なにしろ僕自身も、いまさっき思いついたやつだからな!

 

 

ということで、

≪抱きしめ合ったら脇汗≫の2016年が、4月からまた始まります。

更新は隔週日曜日。今年もどうぞよしなに。

 

(11月から、また冬眠に入ります♡)

 

 

冬季冬眠のお知らせ

 

 

皆様、日ごろ『抱きしめ合ったら脇汗』のご贔屓ありがとうございます。

 

といっても正直、贔屓されてる感じは今のところ全くしませんが、とにもかくにも、ありがとうございます。

 

2015年春から、もてらじ村民として参加させていただき、毎週日曜の更新ペースをなんとか保ちつつ、年の瀬を迎えることができました。

 

ですが、当ブログは冬季多忙のため、しばし眠りに入ります。

 

雪国にも梅の花がちらほらと咲く頃にまた、復帰する予定です。

 

春からは、このまま作り話を書いていくのか、方向転換するのか、それとも霞のようにスッと消えていくのか、まだ検討中でございます。

 

皆様、よいお年を。

おやすみなさい。

 

 

離婚記念日

あ、マスターありがと。


はい、ということでね、


みなさん改めましてこんばんは。


まさかこの中に知らない人はいないでしょうけれど、スナック「しがらみ」のママです。


今日はね、あたしの離婚記念日に多くの皆様に
お越しいただきまして、とっても嬉しいです。


あ、知らない方もいるんだったわね、

説明しておかなくちゃね。

 

そこにいるマスターが、あたしの離婚したダンナ、ってわけじゃないの。

彼は、言ってみれば店長さん。

ね。マスター。


あたしの前のダンナは、今、府中です。

そう、塀のなか。


府中って聞いて、分かるひとは分かると思うけど、

あそこは、初犯が落ちるとこじゃないわ。


彼が、その前にいたのは、網走。

あたしたち、まだその頃は結婚してたの。

 

でね、


彼、ある組織の鉄砲玉だったの。


いまどき、鉄砲玉なんて国宝級よ。業界では。

今の本物のやくざは見た目から中身まで、ほとんどカタギと変わらないもの。


そんな中であたしの前のダンナは不言実行、

抗争相手の親分のタマをとっちゃって。

 

でも今の世の中、鉄砲玉なんて気味悪がられるばかりだからね、

網走のオツトメを終えて出てきたら、

もうまわりに誰もいなかったの。


みんな、知らんぷり。

 

でもね、あたしは彼を愛していたから。

 

「このスナックを一緒にやろう、政ちゃん!」

て、言ったんだけど、


彼、悲しそうな顔してこう言ったの。

 

「塀の中に13年もいりゃあ、もう立派な塀の中の人だ。

お前は器量もいいし、美人だ。

俺みたいなひとごろしとくっついていたんじゃ、

ずっとクスブったまんまだろう。

お春。いいか。

俺と別れて、もう一度人生やりなおすんだ。

俺にはもう、世間がちょっとばかし、めまぐるしすぎる。」

 


泣いて止めるあたしに、一度振り返ったきり、

彼、行ってしまったの。

その足で、もう一度罪を犯すために。

 

彼が、再犯専門の府中刑務所に落ちたあと、

あたしたち、正式に離婚したの。

 

でもね、

この離婚は、あたしの愛した、前のダンナ、

政ちゃんからの贈り物だって、

あたしは思ってるの。

 

いま、こうして、たくさんのお客様に囲まれて、

お店を営業できているのは、そういうことだと思わない?


だから毎年、この日になると、

こうしてささやかなお祝いをしてるってわけ。


ざっと話せば、こんな短い話なのにね。


さ、というわけで、みんなグラスは持ったわね?


それじゃ、かんぱーい!

みんな、ありがとー!

 

テンゴク

 

 

「まあ、今さら失うものも無いから、話すけど。

あのさ、たい焼きでよく、頭から食べる派とか、尻尾から食べる派とかいう話、するでしょう?

僕の定番はね、握り潰して出たあんこをち○こに塗って、手を使わずに食べるやつなんだけどさ、

ある時ムリして、もうちょっと根本の方まで食べようとしたら、首の骨が折れちゃったんだ。」

 

話し終えると、目の前のイスに座って聞いていた、小柄な上に童顔のせいで、化粧が全然似合ってない仏頂面の女の子は、
意外にも可愛らしい笑顔を見せた。


笑顔は魅力的だったが、笑われたら何だか急に、間抜けすぎる自分に嫌気がさしてきた。

今すぐこの場から去りたい衝動をこらえて、とりあえず女の子にもココに来た経緯を尋ねると、

 

「あ、私はあのー…バイブを2つか3つくらい同時に使ってたんですけど、そのうちの一番おっきなやつを、もうちょっと強力にしたくて、先っぽ入れたまま配線いじってたら、感電しちゃって。」

 

 

…僕はひとつ大きな息をついてから上を見上げて、

あの世って意外にいい所だと思った。