抱きしめ合ったら脇汗

1年ごとテーマの変わる冬眠型もてらじ村民ブログ

こんな僕らを本当に戦地に行かすんですかそうですか

 


「み、宮下2士は、何で自衛隊入ったの?」


迫2士が話しかけてきた。


自衛隊では、名前を呼ばない。

氏名の氏と、階級でお互いを呼び合う。


僕らは防衛大学出身のエリートとは対極の、

一番下の試験に受かって入った、下っ端中の下っ端だったから、

階級も一番下の、2士(にし)だった。

 

自衛隊に入隊して半年間は、最低ラインの自衛官になるため、
新隊員教育隊、通称新教(しんきょう)で訓練づけの毎日を送る。

そんな新教の前期3ヶ月の訓練も、残りわずかになっていた。

 

「え?何で入ったか?うーん。なんだろうな。まあ、色々あってさ」

 

と、俺は言葉を濁した。


迫(さこ)2士は、俺のバディ(相棒)だった。


新教では、団体行動がものすごく重要視される。

だから責任は班の中の2人1組のバディごとに負うか、

全員で9人の、この327中隊3区隊の3班のみんなで負う。


だれかがヘマをして、

「なんで助けてやらなかったんだ!」

と班長にどやされ、全員で泣くまで腕立てしたことなんて、もう数え切れなかった。

 

俺が入ったのは、高校の卒業生が中心に入隊する4月ではなく、

“季節隊員”と呼ばれる、4月以外の時期に臨時で募集があって

入隊する、8月入隊の隊員だった。


この“季節隊員”はとりわけ、変なやつが大勢いると言われている。


僕らの全4班からなる3区隊はご多望に漏れず、変なヤツの宝庫だった。


学歴は中卒のフリーターから、
大学院まで出ておいて何故か一番下の2士の試験受けて入ってきたヤツ、
ミリタリーマニアが高じて、本物のミリタリーの世界に来ちゃったヤツ、
元ビジュアル系バンドのボーカルや、
空手家、
元銀行マンもいれば、
新宿のホストクラブで店長をしていたヤツまでいた。


そんな変な集団の中にいても、

俺のバディの迫2士は、ひときわ異彩を放っていた。


榴弾を投げる緊迫した訓練の際にも、

「ピン抜け投げっ!」

という鬼の班長の合図で「ぴんぬけなげっ!!」と復唱し、

ピンを抜いて目標の穴に投げ込まなければならなかったが、

迫2士は何故か頭がプチパニックを起こしたらしく、

榴弾をしっかりと握り締め、抜いたピンの方を投げてしまった。


榴弾が訓練用のダミーだったから良かったものの、

本物だったら我が班は全滅である。


当然迫2士は、烈火のごとく班長に怒られただけでなく、

連帯責任で班の全員で泣くまで腕立てをさせられたのは言うまでもない。


そんな生活を3ヶ月近くも24時間体制で生きてると、

いやおうなしに団体行動に体がなじむ。


どこへ行くにも全員で列をなして移動するのも、

メシを5分でかき込むのも、
風呂を5分で済ませるのも、
クソを1分でひり出すのも、
消灯直後に眠るのも、
起床のラッパと共に腹筋で起きあがり、
点呼を3分以内に済ませるために全力疾走するのも、
若さゆえにどうしても溜まる性欲を
共同トイレで一瞬のうちに放出するのも、

すべては団体行動のために身についていた。


しかし元々団体行動が大の苦手の俺も含め、最初は誰もできなかった。


まだ浮き足だち、髪もボーズにされ、
甘え根性が抜け切れないのは入隊式までで、

入隊式を境にそれまで優しかった班長が、鬼に急変する。


「オマエラっ!ここはシャバじゃねーんだよ!!」


と、うちの3班長より怖い、1班の大島班長に言われた時は

衝撃的だった。


24時間体制で見張りのいる門、
駐屯地のまわりにぐるりとめぐらされた鉄柵と有刺鉄線、

なるほど言われてみれば、そこはムショと似ていると思った。


公務員か、犯罪者かの違いである。


厳しい服装点検や、行き先や行動目的など、
事細かに報告しなければ一歩も出られない休日の外出も、

仮出所のような気分だった。

 


「迫は、どこの部隊に行きたいんだよ」


『ぼ、僕は、静岡にかえろうかなって思ってるんだけど・・・』


「そうか、彼女待ってるんだもんな。しかし、いまだに信じられないよな、おまえに彼女いるなんて。しかもヤリまくってたんだろ?おまえとヤルなんて俺が女だっとしたら考えられないもんなあ」


『えへへ、月10万くらいホテルに使っちゃって・・・』


「なに!10万!?うわははは!おまえ本当にバカだろ!
バイト代10万くらいって言ってたじゃねえか、全部ホテル代かよ!」


『い、いや、彼女も出してくれたから・・・』


「わははは!彼女もノッてんのかよ!彼女も注意とかしろよ!お金全部ホテル代はよくないよ、とかさ!お似合いのカップルだな!」


『えへへへ!』


いつもそんなバカ話をしながら、
バディや班のみんなと消灯前の時間を過ごした。

 

そうこうしているうちに、

あっという間に次の後期訓練をする各地方の部隊への配属が決まった。


バディの迫2士は群馬、そして俺は地元の長野へ。


旅立つ前の日の最後の夜は、
鬼の班長が俺たちの部屋に消灯後に来て、
全員に特別に缶ビールをごちそうしてくれた。


消灯後は眠たくなくても寝てないと、
見張りに来た班長に見つかり、お決まりの連帯責任を取らせられるという、
ある意味緊迫した夜が当たり前だったから、

班長からのビールだなんて・・・そんな緩んだ夜は、俺らにこの生活の終わりを肌で感じさせた。

 

翌朝、いつもの、そして最後の朝が淡々と過ぎた。

みんな、なんとも言えない気分だったが、
口々に

「やっと終わるよ!早く部隊行きてえなー」

などと、次の生活のことを口にした。


珍しく、班長はあまり怒らなく、そして妙によそよそしかった。


今になってみれば、班長はみな若い人が指名され、
新隊員の教育という、班長もまた“訓練の場”であったわけだから、

教え子を教え抜いて、自分の手を離れて全国へ旅立つという時に、
少し気が抜けたりよそよそしくなる気持ちは、分かるような気がする。

 

いざ、
各地方の部隊の新しい班長たちが大型のトラックで迎えに来て、
次々と全国に旅立っていく段になると、

早く行きたいと言っていたヤツや班長を含め、

班員、いや、3区隊の全員が、次々に泣いた。


必死で我慢していた俺も、赤い目をした班長に挨拶をした途端、

涙が止まらなくなった。


初めて経験する涙だった。


嬉しいわけでもなく、

悔しいわけでもなく、

悲しいのとも寂しいのとも違う、

不思議な涙だった。


この3ヶ月の間、地べたをはいずり回るようにして、

全然別々の人生を歩んできた変な奴らがみんなで一緒になって、

必死に過ごしてきたその強烈に濃く、辛く、

そして今までの人生で味わった事がない程に充実した時間が、

もう2度と来ないという現実が、自然と僕らに涙を流させていた。


ドナドナの子牛のように、
迷彩服を着た同期たちがトラックの荷台に乗りこみ、

手を振り涙を流しながらひとり、またひとりと去っていく。


俺は最後にバディの迫2士に

「じゃあな。がんばれよ。」

と、それだけ言って、握手をした。


ありきたりすぎる最後の言葉だと思ったが、

それが精一杯だった。


「宮下2士も」


と、言った迫2士の目にも、涙が流れていた。

 

『全員乗ったか!?じゃあ出発するぞ』

 

ガシャン、と荷台のフックがしまり、

俺の新しい部隊へ向かう車が、出発しようとしていた。


これ以上荷台から外を見て、みんなの顔を見たらどうにかなってしまいそうだったから、

俺は自分の巨大な荷物を抱えて泣きながら、

みんなの別れの声を背中に受け、

新隊員教育隊を後にした。

 

あれからもう5年が経つ。

俺は自衛官を任期満了で退職し、

ボーズだった髪も、すっかり伸びた。


バディだった迫や、班のみんなとは、

もうほとんど連絡も取れなくなったが、

後期教育の途中で辞めたり、
俺と同じように陸上自衛隊の任期の2年を満了して退職したり、
自衛官を続けて昇進した同期もいると聞く。


再びシャバの空気にまみれて生き、忘れている今だが、

たまにふと、たった3ヶ月だったあの頃の思い出が、

鮮明に蘇ってくることがある。


あの時を乗り越えたから、今の俺になっているんだと、

そんな時、ぼんやりと感じる。


バカで、必死で、恥もかなぐり捨てて生きた、

あの新教での思い出は、俺の生涯の財産になった。


「あの頃の思い出に恥じないように、

しっかりと幸せに過ごしていかなきゃな」


と、ひとりごちたりしながら、

俺は今日も淡々とした毎日を、大切に過ごしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※フィクションです