ゆれる心が面白い
唐突に抽象的なことを言うようだけれど、
ゆれる心は面白いのである。
僕の大好きな漫画「からくりサーカス」で、ある人物がこんなことを言う。
「オートマータはめったに笑わないんだよ。フランシーヌ人形を笑わせるために、おどけてばかりいるのにね。自分にゆれる心が無いのに、フランシーヌを「ゆらす」ことができると信じて、二百年も同じことを繰り返している」
詳細は、是非ともからくりサーカス全43巻を見ていただきたいのだけれど(うちのカフェにも全巻置いてます)、
つまり人は、心がゆれるからこそ、人なのかもしれない。ということだ。
逆に言えば、ゆれない人などもう、人ではないのだろう。
ある地上波ラジオで、もう半世紀近く人生相談を受けている方が、
先日こんなことを言っていた。
「いつの時代も、人の悩みは変わっていないんですよ」
いつの時代だって、人は変わらず、ゆれ続ける。
その中には、「ブレる」や、「迷う」、「間違える」も、おそらく入っている。
だから、心が揺れたり、ブレたり、迷ったり、間違えに気づいた人は、
そのことに落ち込んだり、劣等感を抱く必要なんか、きっとない。
自信をもって、まではいかなくとも、そんなダメに感じる自分も含めて、
寛容になってみたらどうだろう。きっと、そこから先の世界が見えてくることもあると思う。(自分に言い聞かせてる気がすごくしてきたが)
だって、ゆれる心があるからこそ、人の心を揺らすことができるはずだから。
人の美しさ(というと大げさかもだけれど)みたいなものも、きっと揺れたその先にあるんだと思う。(例えば個人的にはだけれど、ひたすら若く明るく明朗で饒舌な女性よりも、それなりに挫折を味わって悲しみの引き出しをたくさん所有してるせいで涙もろくなった人の方が、女性としての魅力に数万倍包まれていると感じるし)
最後に、からくりサーカスのオートマータで、最後に仲間(?)になって、ハーレクインという敵のオートマータと戦ってる時の、パンタローネの言葉で締めくくろうと思う。
ハーレクイン「なんでぇ?オレっち何か、おもしろいコト、言ったかい?」
パンタローネ「くっくっくっ…我ら「最古の四人」は、いつもフランシーヌ様を笑わせて差し上げようとしてきた…滑稽な仕草や韻律、楽しい言葉を研究したりしてな。だが…フランシーヌ様は少しもお笑いになられなかった…今、わかったよ。それは…」
「私が一度も本当に笑ったことがなかったからだ……」